□甘い抱擁 前編□



 太腿のあたりに、生暖かいものが滑っていく感触がしてゆっくりと目を開けた。
 見えたのは、薄暗い天井。自分の部屋じゃない。
「……起きたか?」
 側で聞き慣れた声がした。起きあがろうとすると遮られて、枕にもう一度頭を埋める。
 目の前にある広くて大きな背中は艶やかで、手を動かすたび、筋肉が綺麗に動いている。
「ごめんなさい、俺、また……」
「まだ寝とけ」
 起きあがろうとするのを遮られ、枕にもう一度頭を埋めた。行為の後にしか聞けない気怠い声だ。
 王様はベッドに腰をかけて、意識を失ってしまった俺の身体を、いつものように濡れたタオルで拭いてくれていた。嫌だと何度も言っているのに、手を離してくれた試しがないから、おとなしくするしかないんだけど。
 様々な体液が身体にこびりついているのがわかるから、やっぱり恥ずかしい。
「……ぁ……」
 思わず逃げだそうとした途端、タオルが内股に触れた。思わず漏れた声がひどく濡れて聞こえて、さらにいたたまれない。なのに、王様は両手を使って足を拡げようとしてくる。動くと尻の肉が擦れて、王様の精液でそこがひどく濡れているのを感じる。
「ちょ、王様……」
「こら、おとなしくしてろって」
「拭かなくていいですってば……っ」
 抵抗むなしく、足を持ち上げられて尻に暖かなタオルが押しつけられた。恥ずかしいけど、気持ちがいい。満足そうに王様が笑う。
「朝になったら、一緒に風呂入ろうぜ」
 間接照明だけが灯る部屋で、王様の浅黒い肌もいっそう深い色に見える。意志の強そうな目はまだ艶っぽい。
 多分、三回目の終わり際、俺は意識を飛ばしてしまった。それでも随分持ったほうだと思う。なのに、王様は何度しても衰えるということを知らない。見たことがない。
「王様って、やっぱりすごいですよね……」
「ん? 何が……って、お前」
 最後まで言わなくても意味がわかったらしい。どんどん顔が赤くなってくる。
「あのな……そういう事は言わなくていいっつの」
「王様だからなって、いつもみたいに言わないんですか?」
 からかってみると、勘弁してくれ、と頭まで下げてきた。
 本当は、俺だってもっとしたい。王様が満足できるまでセックスしたい。性欲だけだったらきっと王様と同じくらいあると思う。なのに、自分の性欲に体力が追いつかないなんて、情けない。
 だから、いつも中途半端に性欲だけが残って、身体は疼いたままだ。
 今だってそう。
 王様の裸を見ているだけで、また身体の奥に熱いものが灯る。乳首にタオルが触れて、身体が跳ねた。
「ぁっ……」
「こら、変な声出すな」
「そんなの、王様が触るからじゃないですか……っ」
 摘まれ、噛みつくような愛撫で膨らんだそこは、タオルの刺激だけでまた固くなりかけている。
 太い腕に頬を擦り寄せると、逃げるように王様が離れた。けれど耳が赤くなっていくから、うれしくなる。
「王様、俺、まだしたい……です」
「駄目だ、啓太はもう無理だろうが」
「だって……」
「あーもう! かわいい声出すなっつの。これ以上やったら明日学校に行けなくしちまう」
 抵抗しながらも、本当は喜んでくれるのがわかるから、俺もついうれしくて調子に乗ってしまう。じゃれあうような掛け合いが楽しくてたまらない。いくら甘えても、王様はすべて受け止めてくれる。そんな安心感に満たされていく。
 抱きつくと、すぐにそれ以上の力で抱きしめられた。
「……ぅ……、ん……っ」
 乱暴に口を塞がれて、押し倒される。自分から足を開くと、間に割り込んで王様がのし掛かってくる。
 拭いてもらった身体が、また暖かい体液で濡らされていく。


 次の朝、校舎に向かって続く並木道を並んで歩いた。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい、平気です」
 本当は、やっぱりというか当然、腰がだるくて仕方がなかった。だけど、つらそうな顔をすると王様が心配するから、出来るだけ平気なふりをする。
「すまねえな、やっぱり無茶させちまった」
「どうして王様が謝るんですか」
 どちらが悪いかを言い合っていると、隣で小さな咳をするのが聞こえた。
「王様?」
「ああ、ゴミが入っただけだ」
 後ろから三年生がやってきて、王様がその人に話しかける。それから一人、二人と増えてきて、校舎に入るときには大所帯になっていた。いつもそうだ、王様は皆に人気があるから、外を歩いていると必ず誰かに声をかけられる。
 廊下で王様達と分かれてから、ようやく息をつく。腰を撫でていると、後ろから和希に肩を叩かれた。
「どうした、啓太。気分でも悪いのか?」
「う、ううん、そんなことないよ」
「だったらいいけど。学生会は今日から体育祭の準備だろ、忙しくなるな」
 二人で教室に入り、椅子に座る。
 そういえば、今日から会議が続くって聞いていたっけ。
 体育祭は各学年対抗だけでなく、クラブや同好会としての参加もあるから、会議が難航すると聞いた。だから、一ヶ月前から準備を始めるらしい。
 最近、王様は真面目に学生会の仕事をするようになった。今回は始めから学生会二人がかりでとりかかるから、争論を収拾させるのは早いだろうと王様が言っていたっけ。王様と中嶋さんにかかれば、どの学生も文句はつけられないだろう。
 身体を動かす事ばかりが目立つ王様だけど、女王様に次ぐ成績の持ち主でもある。国語以外はすべて満点だ。じゃあ話し合いが苦手なのかと言えば、全くそうじゃない。どんな人を相手にしても、言い負けた事がなかった。身体を使う勝負でもそうだ。
 あの人が誰かに頭を下げるなんて、考えられない。
 授業が始まるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。先生に指名された誰かが、教科書を読み始める。
 校庭から笛が聞こえてきて窓の向こうを見ると、三年生がグラウンドの中心で準備体操をしていた。終わった直後なのか、ばらついて各自好きな事をしているみたいだ。
 その中に、ひときわ均整のとれた大きな身体を見つけた。
 王様だ。
 授業中の姿を見れるのがうれしくて、窓側に身体を乗り出した。王様が誰かとじゃれあっている。すぐに回りの人達が集まってきて、賑やかそうな塊になった。
 飛んだり、走ったり。綺麗なフォルムを見ているだけで、ずば抜けた運動神経を持っているってことがわかる。
 教室からは見えないけれど、多分大きな口を開けて笑っているんだろう。誰よりも大人びていると思えば、子供みたいに無邪気に笑うんだ。
 それが人の警戒心を弱めさせるんだろうか。学生会の会長という役柄、人から恨みを買うこともたくさんある。だけど、最後には敵も味方も関係なく信頼させてしまう人徳を持っていた。それに、惹きつける魅力も。
「はあ……」
 たまに思うんだ。そんな人が、どうして俺なんか選んだんだろうって。


 午前の授業を終えて、和希と食堂に向かうと、王様が俺達に向かって手を振っていた。おかずを受け取る列から出てくるところだった。
「こんにちは、王様」
「一緒に昼飯食わねえか。啓太の分はもうテーブルに持ってった」
「俺の?」
「ああ、だから先に行ってろよ」
 俺の分はないのかと非難する和希を置いて、先に教えられた席に座る。テーブルの上には、俺の好物が山のように積まれていた。
 まだ昨日の晩の事を心配しているんだろう。だけど、ここまでしてくれなくても。
「十分足りるだろ」
 すぐに王様がやってきて、目の前に座る。
「ありがとうございます。でも俺、こんなに食べれないですよ」
「全部食べろって。身体は大丈夫なのか?」
「はい、平気です。いつもの事じゃないですか」
 不機嫌そうに口を引き結ぶのは、照れている証拠だ。セックスする時は驚くぐらい積極的になるくせに、俺が平然と行為について口にすると、ひどく恥ずかしがるのがおかしい。
 すぐに和希がやってきて、俺の隣に座る。
「もうすぐ体育祭ですね。同好会の人達がもう躍起だってますよ」
「そうだろうな」
「また、力づくで勝負ですか?」
 和希が聞くと、得意げに王様が「当然」と鼻を鳴らした。
 意味が分からなくて王様に聞くと、競技はクラブ別、同好会別でも行われるけれど、すべて出場できるわけではないらしい。クラブは出場できるけれど、同好会はいくつか落とされる。体育祭でいい成績を残すとクラブに昇格という道もあるから、どの同好会も出場しようと躍起になるんだそうだ。
 どの同好会が出場できるかは、学生会が決定権を持っている。
 多少は日頃の活動が評価されるものの、王様は選抜といった面倒な事を人一倍嫌がる人だ。
「簡単な方法だろ? つまり、俺に勝てばいいだけの事だ」
 まただよと言いたげに和希が苦笑した。
 同好会からクラブへ昇格するには、王様と戦って勝てばいい。それと全く同じ方法で決めるつもりなんだ。
「でも、そんな方法じゃあどこも出場できないんじゃあ……」
 思ったことを口にすると、王様が唇の端をつりあげて不敵に笑った。
「文化系もあるからな。今回は勝つのが目的じゃねえよ、俺に挑もうっていう心意気を買ってやるんだ」
 どんな強気の発言をしても、この人ならって思わせてしまう。
 毎日のように勝負事に挑んでいる人だ。どんな人達が挑戦してきても負けることはないだろう。逆に、同好会の方が心配になってくる。
「王様らしいですね。そんな事言っても結局、殆どの同好会を出場させてあげるんでしょう?」
 和希の指摘は図星だったんだろう、鼻を鳴らして小さく「うるせえな」と呟いた。笑いそうになる俺まで睨まれる。
 咳をするのが聞こえて見ると、先に食べ終わった王様が立ち上がる所だった。
「そうだ、啓太。今日は学生会は休んで寮に帰ってろ」
「え、どうしてですか? 今日から忙しくなるのに」
「こっちの事は気にすんな、絶対帰れよ」
「ちょっと、待って下さい……っ」
 そう言ってあっという間に去って行かれて、追いかけようと席を立つと和希に腕を掴まれる。
「啓太の身体の心配してるんだって。ほんとに顔色悪いぜ」
「でも……」
 もう、身体なんてとっくによくなってるのに。もし具合が悪かったとしても、王様と出来るだけ一緒にいたいから、学生会には行くつもりだったのに。
「王様の言う事はおとなしく聞いとけよ、な」
 説得されて、渋々椅子に座り直す。
 授業を終えて、俺は学生会に寄らず寮に戻った。夕飯でも一緒にならなくて、顔を見れないままその日を終えた。


 次の日の昼休み、早速王様に挑戦する同好会が現れた。
 急いで外に出ると、グラウンドの端に設置されたバスケットゴールを囲んで、既に人だかりができ始めている。
 その中心で、数人の同好会らしき学生と王様が対峙していた。場所から察するにバスケ同好会だろう。
「五対一だってよ。先に十ゴールした方が勝ちだってさ」
 後ろからそんな会話が聞こえて、俺は息を呑んで王様達の様子を見つめた。ボールが高く上がり、勝負が始まる。
 五人を相手に十ゴールなんて、いくら王様でも無茶だ。同好会といっても、相手は皆王様と同じぐらいの身長があるのに。
「伊藤は賭けなかったのか」
「中嶋さん」
 いつの間にか、横に中嶋さんが立っている。俺をちらりと見た後、一回目のゴールを決める王様に視線を戻した。怜悧な横顔はいつものように冷ややかだ。
「俺はしません、そんなこと」
「ああ、今日は止めた方が懸命だ。俺も下りた」
「え……」
「調子が悪いみたいだからな」
 五人の間を自由自在に動き回る姿は、いつもと同じに見える。大きい身体がまるでバネのように伸びては縮む。ダンクシュートを決めて、歓声が響きわたった。
「いつもと同じじゃないですか」
 聞き返そうとしたその時、突然の周囲がどよめいた。
 王様が四人がかりで押さえつけられている。残った一人がシュートしているのを見て、何が起こっているのかすぐにわかった。王様を取り押さえている間に、ゴールをしようというのだ。
 だから五人で勝負を挑んだんだ。始めからルールなんて決まっていなかったんだから、反則じゃない。
「てめっ……、この、離せ……っ!」
 もがいているうちに、王様が引き離していたはずの点数があっという間に縮まっていく。
 王様でも、大きな身体の四人を引き剥がすことは難しい。
 もつれあいながら倒れ込み、王様の上に男達が被さっていくのを見て、俺はグラウンドに飛び出した。
「来るな、啓太!」
 割り込んできた俺を見つけて、王様が手を差し伸べてくる。その手を掴もうとした途端、後ろから羽交い締めにされた。
 自分が捕まったことに驚いたのは、自分よりも王様の方だった。
 歯を剥き出して唸りながら、あっという間に乗りかかっていた二人を投げ飛ばした。人が飛んでいくのを唖然と見つめていると、自由になった身体で、今度は俺達に向かってくる。悲鳴のような声を上げて俺を押さえていた男が離れた。
 ほっとする暇はなかった。王様が俺の名前を叫び、俺を囲うようにして抱きしめてくる。
 とたん、何かが弾けるような音がして、抱きしめていた王様の身体がぐらついた。
 すぐ側に、バスケットボールが転がっている。シュートをしていた男が、王様に向かってボールを投げつけたのだ。
「王様……っ、王様!」
「い、……ってぇ……」
 つらそうに眉根を寄せているのに驚いて、身体を揺さぶっていると誰かに腕を掴まれた。いつの間にか中嶋さんが王様の身体を支えている。
「揺らすな、保健室に連れてくぞ」


 保健の先生に見てもらうと、軽い脳しんとうということだった。ボールは運悪く、王様の後頭部に命中したのだ。
 平気だと言い張る王様を、中嶋さんと二人で無理矢理寮に連れて帰り、部屋のベッドに寝かしつけた。しばらく様子を見ていろと言い残して、中嶋さんは俺達を残して出ていく。
 それから、俺はずっと枕元に貼り付いていた。
「ちくしょ……、何でもねえって言ってんのに」
「どこが何もないんですか。熱があったくせに……っ」
 脳しんとうより、熱の方がひどいと先生は言った。どうしてそんな身体で勝負なんてしたのかと、くやしくて腹がたって、最後には涙が出てきた。 
「ごめんなさい、王様……俺のせいで……」
「何言ってんだ、お前のせいじゃねえだろ」
「だって、俺を庇って……」
 俺が出ていかなければ、こんな事にはならなかった。助けに行ったつもりが、王様の邪魔をしてしまったんだ。
 シーツに頭を埋めていると、大きな手で頭を撫でられる。
「俺が、ちゃんと見ていれば……すまなかった。怖い思いをさせたな」
「どうして、王様が謝るんですか」
「ちゃんと守ってやれなかった」
「守るなんてそんなの、頼んでません……っ」
 王様の手を振りほどいて、思わず叫んでしまうのを止められなかった。ショックで胸が熱くなって、また涙が溢れてくる。
 王様は、ただ驚いた顔をしていた。どうして泣いているのかわからないようだった。
「……なあ、啓太。バスケ同好会のやつらの事、許してやってもいいか」
 少し吊り上がり気味の目を少し細めて、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「お前を狙ってたら半殺しでも済まさねえけど、そういうわけじゃなかっただろ。メンバーを守るために向こうも必至だったんだ、俺が投げ飛ばしてたんだからな。勝負のやり方は卑怯だが、挑んできた度胸だけは買ってやりてえんだ」
 どうして、この人は自分が痛い目に合っているのに、相手の事まで考えられるんだろう。
「王様がそうしたいなら、俺は何も言いません」
「……そうか」
 少し笑って、目を閉じた。すぐに小さな寝息が聞こえてくる。胸が静かに上下するのを、長い間見つめ続けた。
 なめらかな頬や、高い鼻梁。精悍な横顔は、精彩を欠いているように見える。
「最悪だ……俺……」
 あれだけ一緒にいて、熱があった事を気づきもしなかった。昨日、学生会に来るなと言ったのも、俺に風邪を移させたくないからだったんだ。
 その前の晩、俺の身体を労ってくれていたのに、俺は一度も王様の身体を心配しなかった。そういえば、次の朝咳をしていたんじゃなかったか。
 抱きついた時、その背中が冷たかった事を今頃になって思い出すなんて。
 今日だって、俺がすぐグラウンドに飛び出していれば、こんな事にはならなかったかもしれない。五人を相手にすると知った時に、止めさせることもできたはずだった。
 王様なら平気だろうって、そう、思ったんだ。
 ――「守る」と言われた。
 俺は、王様にとって守ってもらうだけの存在だということを、言葉にして突きつけられたんだ。
 それ以上を求められた事ないから、好きなだけ甘やかされて、やさしくされて。頼りにするばかりだった。「王様だから」そう言ってすべて片づけていた。
 この人は、誰にも頼らない。人を助けるばかりで、守るばかりで、助けなど必要のない人だと思いこんでいたんだ。
 気付いてしまった。
 この人を守ることができる人は、まだどこにもいないって事を。







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