□SURVIVAL 3□


 


 中嶋さんが時期生徒会長に立候補したのは四週間目の事だった。
 今日の朝礼は体育館にパイプ椅子が並べられ、ステージの上で立候補した生徒達の挨拶がある。簡単な自己紹介という名の演説だった。今回は噂の人物が初めてみんなの前に姿を現すということで皆浮き足立っていて、ざわめきが体育館にこだましている。
 ステージの上に並ぶ三人の現生徒会が座り、現生徒会長が教壇に立って挨拶を始めても、ほとんど騒ぎはおさまらなかった。弱小の生徒会に期待する奴はいなくなったって友人から聞いていた。BL学園の王様達みたいな学生会の方がめずらしい事なんだって俺にもわかる。
 現生徒会長が、立候補した生徒の名前を読み上げる時だけ騒ぎは少しだけ治まって、最後に会長の立候補者四人の内、中嶋さんの名前が最後に呼ばれた時、いろんな所で黄色い歓声が広がった。
 俺は一年生の席に座り、息をつめてステージに上がる人達を見つめていた。
 書記の立候補者が順にステージの右側から現れて、スピーチが始まる。前後左右でひそひそと話をしている人が多く、まともに聞いている人は半分にも満たない。俺も何も耳に入っていなかった。ただ最後に現れるはずの人を待ち続けていた。
 簡単だったり長かったりする演説はいよいよ佳境に入って、会長立候補者が挨拶を始めると、少しづつざわめきが小さくなっていく。学生を代表する生徒会長だ、どんな人物なのか見極めてやろうという気持になるのかもしれない。さすがに立候補しただけあって自分に自信のある人達なんだろう、はっきりとした物言いでどの人も分かり易い演説だった。
 三人目の演説が終わり、生徒会長が立ち上がり手にした紙を持って読み上げる。
『次は……三年七組の中嶋英明』
 ステージにその姿が現れるその瞬間、待っていたはずの俺は何故か見ることができなくて俯いた。皆の話し声がぴたりと止まり、突然沈黙が広がる。皆息を呑んでステージの上に現れた噂の人物を凝視しているのがわかる。
 見なくても想像できた。中嶋さんが広いリーチで歩いて教壇に立ち、無表情だけれどすべてを見透すような眼差しで、俺達を見つめているのを。
  俺は何度もそれを見てきたんだ。
『ここに来て一ヶ月だが、生徒会の現状は把握したつもりだ』
 他の立候補者のように自分で自己紹介をせず、中嶋さんの低い声が体育館に広がる。ひさしぶりに聞くマイクごしの声。
  その懐かしさに、俺はゆっくりと頭を上げて、ステージの上に立つ人を見た。
 紺のブレザーを着ていても、そこにいたのはBL学園で副会長として君臨していたその人だった。人を惹きつけずにはいられない容姿と、身体にまとう冷たいけれど秘めた知性を感じさせる雰囲気。見つめられると緊張して、誰もが落ち着かなくなる。
『今の俺に言えるのは一つだ』
 中嶋さんは当選するだろう。転校してきた時から続いた、ドラマチックな展開の最後の幕締め。
  すべて中嶋さんの思い通りだった。
 そして俺はまた、BL学園の時のように、手伝いにいけば会うことができるのだろうか。 そうすれば中嶋さんは――俺を見てくれるのだろうか。



 いつの間にか、頬に涙が伝っていた。
 懐かしいのか悲しいのか……寂しいのかも、もうわからなかった。すべての感情がごちゃまぜになって収集がつかなくて、身体が震えるのを止められない。
 もう、これ以上中嶋さんを見ていたくなかった。
 ここから離れよう、それしか逃れられる方法はない。
「おい、伊藤っ?」
 俺は席から立ち上がり、周囲の目に晒されながらパイプ椅子の間をくぐって出口へと走った。
『期待を裏切らないことを約束する――以上だが――』
 中嶋さんの演説を最後まで聞き終わらないうちに、俺は外に飛び出していた。
 


 ここでの俺の生活の中に中嶋さんはもういない。
 俺は一人、たくさんの知らない生徒達の中に埋もれていく。誰にも気づいてもらえず、誰も見つけられないまま。


 ――どこまでも続く紺色の人の群れの中に一人。
 まるでジャングルの中に取り残されたみたいに――


 俺はそのままマンションに戻り、こっそり持ってきていたBL学園の制服を取り出し、着ていた制服をすべて脱いでそれに着替えて外に出た。
 懐かしい匂いのする赤いブレザーを羽織ったら、今からしようとする事に勇気がわいてくるような気がする。
 BL学園であることを主張する制服を着ることは、狙われている俺にとっては自殺行為だ。だからこそ、俺はこれを着て学校に戻る。BL学園には戻らない、戻ったら和希達を失望させてしまうからだ。犯人が見つけやすいように、俺はこの制服のままで緑ヶ丘高校に行く。噂が広まればきっと犯人が気づいてくれる。俺を誘拐してくれる。ずっと考えていた事だ。
 それがここから俺を助け出してくれる、唯一の方法だった。 
 朝礼が続いているのか、戻ってきた校舎には人影はない。俺は体育館には戻らず一年生の校舎に戻ろうと中に入ったその時だった。
 誰かが後ろから俺を羽交い絞めにしようとし、驚いて後ろを振り向いたと同時にみぞおちに衝撃がきて、いきなり視界が揺らぎ、次第に真っ暗になって……最後には何も見えなくなった。


 床の冷たさと重苦しい腹の痛みを感じて、俺はゆっくりと目を開けた。
 だけど視界には何も入ってこなくて、何故だろうとはっきりしない頭で思った。目を開けても薄暗い光だけで何も見えないのだ。
 いつまでも見えないことに、もしかして目が見えなくなったんだろうかと恐怖を覚える。ついでに手をいくら動かそうとしても、縛られたみたいに動いてくれないのに気が付いた。
 一体俺、どうしたんだよ、何があったんだよ……っ。
 叫ぼうとして口を開けようとし、その口さえも不自由なことを知ったとたん、フラッシュバックのように鮮明に記憶が蘇った。
 そうだ俺、誰かに襲われて気を失ったんだ……!!
 見えない目は耳や鼻が隠れるぐらい大きな布で目隠しをされていて、唇の間に布が回されて頭の後ろで縛られている。両手も背中に回され縛られていて、足は縛られていなかったけれど、視界も手も自由にならない身では、ここがどこかもわからず、下手に動くこともできなかった。耳を澄まそうにも、大きな布が聴覚さえも殆ど奪っていた。
 BL学園の制服を着て戻ってきたとたん、犯人に見つかったのだろうか。気付かれるのがあまりにも早すぎる。もしかして犯人は既に何らかの方法で、俺がこの高校に隠れたことを知り、この高校を監視していたんだろうか。
 情けないことに、センサーのスイッチを押すことができなかった。もし押せたとしても、制服を着替えた時にマンションに置き忘れてしまって押したくても押せない。情けない自分に眩暈がする。
 とにかくどうにかして連絡を取らなければいけない。何とかして目隠しだけでも取ろうともがいた。ここがまずどこなのか、目が見えなければどうしようもない。
「……目が覚めたか」
 いきなり至近距離で声がして、俺は驚いて動きを止めた。この場所に犯人がいるかもしれないということまで頭が巡らなかったのだ。不自由な口で必死に大声を上げようとするけれど、小さな呻き声にしかならない。声は耳を塞がれているせいで曇っていて、男という事以外特徴を掴めない。
 気配が動いて、コツ、コツ、と俺の方に近づいてくる足音が聞こえて、俺は身体を竦ませて耳を澄ました。犯人は数メートル先にいるのか、数センチ先にいるのかもわからなかった。
「そんな制服を着て……お前は捕まりたかったのか?」
 いきなり俺の頭に何かが触れて、俺は仰け反ったけれど、頭を押さえられて動きを止められ、口を締め付けていた圧迫感から解放された。口枷をはずされたのだ。
「誰か!! 誰か助けて下さい!! 中嶋さん、中嶋さん!!」
 大声で喚いて助けを呼ぶけれど、男の声以外は何も返ってこない。
「ここはどれだけ喚いても無駄だ、諦めろ」
 男を無視して、俺は息がつまり喉が枯れるまで叫び続けた。男が俺を止めようとしないことが、本当にここが誰にも声が届かない場所なのだと思いしらされるようで、しばらくして俺は叫ぶことを止めてしまった。
 誰にも気付いてもらえないという現実が一気に俺を恐怖に陥れる。
「……どうしてその制服を着たんだ」
 俺は何も答えず、息をひそめて犯人の動きを少しでも感じようとする。
「……答えろ。答えなければ無理矢理言わせるだけだ。そうされたくないだろう?」
 ゆっくりと、楽しそうに男が言って、俺は答えようにも恐怖で口が震えてうまく言葉がでてこない。
「み、見つかろう、と思った、んです……っ」
「……聞こえない」
「見つかって、学園に、戻りたいって、そう、そう思って……!」
「その為にわざと俺に捕まったのか」
 何度も頷いて肯定する。
「そんなに新しい学校が嫌だったのか? こんな目に合ってでも戻りたかったのか」
「……ここから逃げられるなら……!」
 俺は叫んだ。
 そう、これは俺が望んでいた事だ。こんな状況になっても、自分のしたことに後悔はしてない。危険な目に合うことは覚悟していた。
 男はしばらくの間沈黙していたけど、いきなりまた俺に触れてきて身体を捩るけれどかなわず、その手が俺のベルトをはずし、ズボンのボタンを外しているのだと知って、俺は叫んで無我夢中で身体を動かして逃れようとする。男の行為が何を意味するのかわからなくて、冷たい汗が額を伝った。
「い、い……嫌だ、やめろ!!」
 叫んだ声も情けないほどに震えて、恐怖に身体もすくんでしまって足を動かせず、男は俺のズボンを一気に脱がした。冷たい床に尻が触れて、ズボンだけでなく下着まで脱がされたことを知り、思わずうつ伏せになってその場から少しでも離れようと立ち上がろうとするけれど、視力を失い平衡感覚を失って、恐怖に支配された身体では膝で立つことも出来ない。ただもぞもぞと動くだけに見えるのだろう、男が小さく笑った。
「……誘っているつもりか?」
 俺の頭上で聞こえてきた言葉が何を意味するのかを考えるよりも先に、絶対に逃げなければという思いに駆られ、全身を動かしてもがいた。
「っ! ……や、やめろ、触るな!!」
 その時、男の手が俺の下半身に触れた。手のひらを押し付けるように、俺の尻を掴んだのだ。俺は叫んでその手から逃れようとする。


「あいかわらず小さな尻だな、俺の手にすっぽり収まる」
 男が言ったその声に、身体を一瞬止めて男の顔があるだろう頭上を見上げた。男の手が尻をゆっくり撫でいく。大きな手の平のひんやりした感触。
 男の台詞と、忘れたくても忘れられないその手の動き。
「……な……中嶋、さん……?」
 小さく笑う声がした。よく聞けばその笑い方は中嶋さんによく似ている。声自体はこもっていて判別できないけれど、その話し方にも聞き覚えがあった。さっきまで混乱していて気が付かなかったんだ。
 だけど、まさかという思いは捨てられない。
「な……!!」
 動けないでいると、男の指が尻の間に伸びて指の腹が入り口に触れてきた。すぐにゆっくりとその指が俺の中に入ってくるのを感じて、離れようと必死にもがくけれど指はますます入りこんでくる。強引だけれどその慣れた手つきは中嶋さんとしか思えない。
「ぅあっ」
 中で指が曲がり一番敏感なところを押されて、突然尿意のようなものがこみあげて息を呑む。中嶋さんじゃないかっていう疑いが俺の緊張と忘れさせていたから、おぞましい感覚が這い上がってくるのを止められない。
「中嶋さん、中嶋さんなんでしょうっ? どうしてこんな、どうして……っ!」
 指が抜けていくかと思うとまた入ってきて、ゆっくりと抽挿を繰り返される。男は俺の問いかけに答えない。指が
与える快感に支配されそうになるのをこらえながら、俺は必死で男を追及する。
「中嶋さん! 答えてください!!」
 今の俺には、何故中嶋さんがこんなことをするのか、俺を捕まえてどうして縛らなくちゃいけないのか理由を考える余裕はなかった。ただ本当にこの男が中嶋さんなのか、それを知りたくても男はそれきり一言も話さない。
「く……っ!」
 もし別人だったらという思いが完全に消えたわけじゃない。
 なのに……中嶋さんに慣らされた身体は、久しぶりに与えられた愛撫に素直に反応し始めていた。また一番敏感なところをえぐるように探られて、漏れてしまう声を抑えられなくなってくる。うつぶせになっている腹の下が床に押されて、痛みを感じてきて思わず腰を浮かせると、指が更に奥まで入ってきて喉がひくついた。
 もう片方の手が俺の腰を掴んで持ち上げ、膝で立たされ尻を上げさせられた。尻を突き出すような格好に恥かしくなり、必死でもがくけれどかなわず、更に乱暴に指を出し入れされる。
「ぃ……っ、あ……っ、あ……っ」
 敏感な部分を押しこみながら、更に一本の指が追加される。指の動きにあわせて腰が揺らぎ始め、圧迫感から解放された前のそこが、勢いよく一気に頭をもたげてきて自分を止められない。
「いやだ、やめて下さい……っ! もう、もう……っ!」
 ぽたぽたと立ち上がった先端から液体が床に落ちる音が聞こえる。痺れたように感覚のないそこが限界まで来ているのがわかる。長い指がすべて奥に埋まり、かき混ぜるように乱暴に動かされて俺は悲鳴を上げた。
「な、なかじまさ……! ぅあ……あ……っ、ぁ……」
 瞼の奥がフラッシュのように一瞬真っ白に光ったと思った瞬間、そこから熱湯のように熱い液体が勢いよく吐き出されるのを感じた。ひさしぶりに味あわされた吐精は一度ではおさまらず、指を締め付け奥まで咥えこみながら何度も腰を突き出した。


 すべてを出しきり、力の抜けた身体は膝から崩れ落ちた。中嶋さんかもわからない男の前で、俺はろくに抵抗も出来ず恥を晒したのだった。乱れた息も整わず、いいようのない悲しみが俺を支配して、とめどなく流れてくる涙を止める力ももう残されていなかった。嗚咽を漏らしながら俺は泣いた。
「……啓太」
 男が俺の両手を縛る紐を解き、耳のすぐ近くで俺の名前を呼んだ。今度ははっきりとわかる。
 ――中嶋さんの声だった。
「……ど、うして……」
 やっぱりという思いと何故という思いが交錯して、震える口はそれ以上言葉を作れなかった。
 今まで俺を相手にもしていなかったのに、いきなり俺の前に現れたと思ったらこんなひどい扱いをするなんて。こんなことをされる程、俺は何かしたというのだろうか。そう思ったらどんどん涙が溢れてくる。
「おとなしくしていろと言ったはずだ」
 懐かしい声が間近で聞こえても、うれしさなど感じなかった。その声は低く冷たくて怒りに満ちていて、今の俺にはそれを受け止める元気もない。
「お前はここから逃げたいと言ったな、何故だ。泣いてないで俺の質問に答えろ」
 身体が恐怖に縮んで、俺は喉から声を絞り出した。
「……、か、帰り、たく、て……っ」
「それは聞いた」
 最後まで言い終わらない内に冷たい声で制止される。中嶋さんが聞き出そうとしているのは、俺の本当の理由だった。そして俺は誤魔化す術など持っていない。嘘など簡単に見破られてしまうことは今まででにしみて味わっている。
「ひ、とりで、俺……一人で……、寂しくて、耐えられなくて……」
「……俺に相手にされなくていじけてたとはな」
 そう言って小さな溜息が聞こえて、俺はかっとなって目の前にいるだろう中嶋さんを仰ぎ叫んだ。
「だって、会いに行ってもどこにいるのかわからないし、俺は来てくれるのを待つしかなくて……っ! 中嶋さんは俺を無視して、どんどん遠い所に行って、俺だけ、俺だけ置いていかれて……っ!! ボディガードするなんて、あれは嘘だったんですよね、そうなんでしょう?」
 少しだけ沈黙したあと、中嶋さんが言った。
「無視はしていない、いろいろ準備することがあった。意外に長い時間がかかってお前にそれを説明する暇もなかったが……。ボディガードをすると言ったことは確かに嘘だった」
 はっきりと嘘だと告げられ、俺は思わず上半身を起こした。中嶋さんの言っていることの意味が理解できない。
「……だが、最後の仕上げをお前に邪魔されるとは思わなかった」
「仕上げ……?」
「スピーチの時出て行っただろう」
 ますます理解できなかった。俺が出て行ったことと何の関係があるんだ。
「しかもその制服を着て帰って来るとはな。今BL学園出身だとバラされるととすべてが台無しになる。だからついカッとなってしまった、……殴ってすまなかったな」
 今まで聞いたことのない言葉を次々と口にして、涙が乾いた目で中嶋さんの顔があるらしき場所を見つめた。俺にしたことを後で謝るなんて初めてだったけど、誤るといいながら全く反省している様子がないのはいつもの中嶋さんだ、と思った。
 立ち上がる気配がして、ドアが開く音がした。
「……中嶋さん?」
 ドアが閉まって、一人取り残された俺も追いかけようと立ち上がろうとするけれど、目隠しもされたまま、手も縛られたままで、いろんなことがあった身体は疲れきってうまく動いてくれない。何故解いてくれないのだろう。ここは学校なんだろうか。どこかの別の場所なのかも全くわからないままだ。
 投げ捨てられただろう俺のズボンを足で探っていると、ドアが開く音がして中嶋さんの足音が俺に向かって近づいてきた。
「中嶋さん、これを早くはずし……。っ!!」
 最後まで言えなかったのは、突然中嶋さんが俺を押し倒したからだった。叫ぼうとすると口を塞がれ、塞いだものが中嶋さんの口だということに気付くまでしばらくかかった。驚いてもがこうとしたら、すぐに唇が離れていき今度は手で口を塞がれ、耳元で囁かれた。
「……俺の質問に答えるんだ、それ以外は何も話すなよ……。啓太は俺が好きか?」
 突然耳元で囁いた言葉は、あまりにも突拍子すぎて面食らってしまい、もう一度話しかけようとするけれど、大きな手で塞がれていては小さな呻きにしかならない。
「……答えろ、啓太」
 こんな状況で告白しろだなんて、中嶋さんは一体どういうつもりなんだろう。だけど囁く声はとても柔らかくて、少しだけ躊躇してから小さく頷いたが、「大きな声を出して答えろ」と再度要求される。
「……す、好き……です……」
「誰が、誰を、だ」
 告白する恥かしさよりも、尋問されているような気持ちだった。
「……俺は、中嶋さんのことが、……好き、です……」
「一年三組の伊藤啓太は、三年七組の中嶋英明のことが好き、俺達は付き合っている、そうだな」
 今度は大きな声ではっきりと、中嶋さんがそう言った。わけがわからないまま俺は「はい」と返事をする。いつもと様子が違うけれど、中嶋さんの口から俺達が付き合っている、と聞いたのは初めてで心臓が高鳴っていくのがわかる。
 だけど、次に聞こえてきたのはそれ以上はないと思うくらいの衝撃の言葉だった。
「俺も好きだ、啓太。お前を愛してる」


 ……心臓が止まった、そう思った。
 ふぇ……と、喉の奥から、中嶋さんの言葉の反応に最も似つかわしくない素っ頓狂な声を洩らしてしまった。心臓が止まった後は、一気に大量の沸騰した血が全身に回ってきて、恐ろしい速さで心臓が打ち出し始める。
 目を隠していた布と腕を縛っていた紐を解かれた時、俺の顔はゆでダコよりも真っ赤だったに違いない。数十センチ離れた所で中嶋さんがおかしそうに俺を見つめていた。
「今から伊藤啓太に手を出したものは許さない。俺達の邪魔はするな。――以上だ」
「な……中嶋さん……?」
 中嶋さん以外の誰かに言ってるのか?
 俺はとっさに周囲を見渡した。だけど白い壁に囲まれた十畳ほどの狭いフローリングの部屋には、中嶋さん以外誰もいない。ドアが一つと、壁の一辺の上の部分だけカーテンがかかっている。蛍光灯に照らされた床には放り出されたままの俺のズボン以外、一切何も置かれていない。
 中嶋さんが俺のズボンを俺に向かって投げ、「出るぞ」と小さな声で言って立ち上がりドアを開けて出て行こうとしてたので、俺は慌てて服を着て追いかけた。
 部屋を出ると、突然太陽の光が俺を照らして目を伏せる。
目が次第に慣れてくると、窓ガラスの向こうの景色から一年生の校舎が見えた。ここは学校だったんだ。周囲を見渡すと、先程のフローリングよりも狭い部屋で、椅子がいくつか無造作に置かれている。その椅子の前には、腰までの高さの、たくさんのボタンがついた機械が端から端まで続いている。その長さはおよそ三メートルぐらいだ。その機械の上には透明なガラスがあって、フローリングの部屋から見たカーテンがその向こうに見える。
 何の部屋なのかわからず立ち尽くしていると、中嶋さんが自分の紺のブレザーを脱いで、俺の赤いブレザーを脱ぐように促し、自分のブレザーをかわりに羽織るように言った。
「出るぞ」
 もうひとつ、専門教室にあるドアと同じものが中嶋さんの後ろにあって、そのドアノブに中嶋さんが手をかける。
「あ、あの……っ!」
「何だ」
「一体、なんなのか、俺にはさっぱり……っ」
 最初から最後までろくに説明されなかった俺には、一体何をどう聞けばいいのかもわからない。白いシャツだけになった中嶋さんが振り返って俺を見た。その目は悪戯を仕掛ける子供のように、とても楽しそうだった。
「出て行けばわかる」
 一言そう告げて、中嶋さんがドアを開けた。
 外の世界には、全く一転した世界が俺を待ちうけていた。


 え、え……えええ!!
 ドアを開けた先に広がる廊下に、山のような人だかりができていた。俺達から数メートル距離を空けた場所から、出てきた俺達を見たとたん、叫びや奇声ともとれる歓声が一気に沸きあがった。
 その迫力に後ずさり、ドアに背中を押し付けた俺を、隣で立っていた中嶋さんがいきなり俺の腰を掴む。とたん、俺の腰が中嶋さんの胸にくるまで一気に高く抱え上げられた。
 腰を抱きしめられて、見下ろす格好になった中嶋さんの顔が、俺の額に眼鏡の縁が当たる程近づいたとき……キスされていた。
 耳を覆いたくなるような大歓声が次第に俺の耳から遠ざかっていく。俺が離れていくのか、みんなが離れていくのか。
 ……一体今、自分に何が起きているんだろう……。
 意識が遠くなる最後まで、その疑問の答えは出てこなかった。

 


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