□SURVIVAL 1□



「転校っ!?」

 突然和希の口から出てきたのは、俺には想像も予想もしていなかった言葉だった。
 放課後の学生会室の長机に座る王様と中嶋さんには既に和希から話が来ていたらしく、俺以外に驚いている人は誰もいなくて、みんなを見渡すと難しい顔はしているけど、和希の提案に反対していない様子だった。
「犯人を見つけ出すまで、それまで安全な所にいてもらった方がいいと思うんだ……」
「だからって、転校だなんて……」
 和希の言いたいことはわかるし、悲痛な表情で何度も謝られたら何も反論できなくなるじゃないか……。
 

 事の発端は一週間前、理事長宛に届いた脅迫メールだった。
 学園MVP戦が終わってから数ヶ月、和希と俺達を脅かしていた黒幕久我沼を追い出してから、平穏な日々が続いていた矢先のことだった。ある日、誰かがBL学園のネット網を潜り抜け、最深部の秘密情報を破壊したあと、それを掲げて和希に宣戦布告を送りつけてきたのだ。
 その内容は『伊藤啓太を誘拐する』。取引条件は理事長の和希の解任。幼い頃俺がウイルスに感染した事も知られていた。犯人は俺の身体の秘密情報もハッキングしてきたのだ。それは、犯人が自分の力を誇示するためと、宣戦布告が嘘ではないことを証明する為だ。もしただの脅迫メールだったら和希は視野にも入れなかったに違いない。
 和希と学生会、会計部の必死の調査にも、犯人は尻尾さえ現さず、誰でどこから送りつけてきたのかも不明、この学園の最新のハイテク技術と情報操作にもひっかからない。
 そして遂に今日、七条さん達が組み上げたトラップをかいくぐって、誘拐予告日を告げる最後のメールが届いた。予定日は……明日。
「俺としてもこの方法まで使いたくはなかった……けれど、もう時間がない。犯人を見つけるまで啓太はBL学園にいたら危険だ」
「なんで見つからねえんだ? こんなに探し回ってるってのに!!」
「落ち着け、丹羽」
 ドンッと王様が机に拳を叩きつけて叫んで、横に座る中嶋さんが低い声で制止した。
 俺の安全の為に一生懸命になってくれている和希が言うことだから、転校が俺にとって一番安全な方法だということはわかってる。他の高校に一時的に避難するなんて方法想像もしていなかったけれど、一人じゃ何もできない俺に抵抗する理由は見当たらなかった。ここで俺一人が反対している時間はない。
「……わかったよ、和希。俺、行くよ」
「啓太!」
 悲しそうな顔で王様が俺を見つめて、俺は少し笑って頷き返す。王様や女王様、七条さんに和希、そして中嶋さんが俺の為に頑張ってくれたのはわかってるから、もうこれ以上迷惑をかけたくないんだ。
「すまない……俺がふがいないせいで、本当にごめん、啓太……」
「何言ってるんだよ、これ以上みんなに迷惑かけれないし、俺は全然平気だから」
 ここ一週間、王様達にボディガードしてもらう日々だった。申し訳ない気持は日増しにつのり、自分自身も守れない自分の力不足に嫌気がさしていた。だから……俺が違う高校に行き、姿を隠すことでみんなに危害が及ばないならそれが一番だと思う。
「すぐに戻ってきてもらえるよう最善を尽くすよ、啓太。約束する」
 苦しい表情で両手を合わせ、強く握り締めながら俺を見つめて、平気だともう一度笑って言った。
「……その高校も安全といえるのか?」
 腕を組んで微動だにしなかった中嶋さんが突然口を開いた。和希が正面に座る中嶋さんを真剣な顔で見つめる。
「その高校には啓太が事情があって臨時で編入すること、BL学園出身だということは秘密にするよう話はしてある。あと編入する間啓太にはBL学園関係者との一切の交流を絶ってもらう。むろん俺達もだ。電話、メールに至るまでどこで傍受されるかわからないからな」
 ……BL学園の人達と連絡がとれなくなる。
 それは、俺には大きなショックだった。つまり、中嶋さんにも連絡しちゃダメってことだ。しばらくの間違う高校に行くのはつらくはない、もともと転入生だったし、ずっとここから離れるわけじゃないんだ。だけどその期間がどれくらいになるかわからない。それまでの間、中嶋さんに連絡することができないなんて……。
 中嶋さんはその事に気が付いているのかと横目で覗いてみたけれど、無表情で何も掴めない。
「……遠藤、俺もそこに転入させろ」
 俺を含め、王様と和希が中嶋さんの言葉を理解するのに数秒かかった。
「はあ? 何いってんだヒデ!?」
 沈黙を破ったのは数トーン上ずった声で叫んだ王様だった。俺と和希も数秒後「え!?」と声を上げてしまう。中嶋さんはそんな三人の前で無表情のまま言葉を続けた。
「それだけの処置では信用できない。もし転入先の高校で啓太にもしもの事があったらどうするつもりだ? この学園にいるより危険だろう、誰も助けられないのだからな。啓太一人では危険すぎる。……ボディガードが必要だ」
 中嶋さんが、俺と一緒に……?
 俺は不謹慎なことに、中嶋さんと一緒に転入できるなら、と心が弾んできてしまい、それが顔に出ていないかと思って慌てて俯いた。中嶋さんが言うことは和希も想像していたらしく、苦々しい顔で答える。
「いざという時の為に啓太にセンサー付きのブザーを付けてもらうつもりだ。非常事態が起きたときそれを押せば、ベル最新鋭の追跡装置で3分以内に現場に駆けつける」
「三分か、遅すぎるな」
 はっきりとした声で言い捨てて、和希もその装置では完全に守りきれないと思っていたのか、何も言い返さずに黙り込んでしまう。
「やはり一人啓太についていくべきだ、幸い俺は単位が危ない教科もないからな」
「それなら俺が行く!」
「お前は会長だろう、学園を留守にしてどうする」
 ぐ、と喉をつまらせて王様も黙り込み、「俺が適役だ」と中嶋さんが言い切った。
「至急準備を頼む、理事長」

 
 中嶋さんが俺と一緒に私立の高校に転入する……信じられない展開に自分の身に降りかかった危険を忘れてしまうぐらいだったけど、呆けている時間もなく、俺は慌てて荷造りをして学園を出て行く準備に追われた。俺は休学することになっているので怪しまれることもない。住む場所は和希のグループの傘下にある企業が経営するウィークリーマンション。中嶋さんとは転入先の高校で再会することになっていた。
 荷造りの最後は、電源を点けたままにしたノートパソコン。画面にはメールソフトが立ち上がっていて、BL学園に転入する前に通っていた高校の友達からのメールが開いていた。時々連絡をとりあっている一人で、同じ学年の女の子とつきあうことになって毎日が楽しい、ラブラブだっていう内容の文章が開いている。
 このメールをもらったときは……正直言って、素直に喜べなかった。よかったなって思うし、応援する気持はもちろんある。のろけ話を聞いてほしいっていう気持もわかるんだ。
 全部、俺にはできないこと。つきあっていてもできないこと……正直言って羨ましかった。
 BL学園内で中嶋さんと俺の関係は秘密にしてる。バレたって俺は別にいいと思ってるけれど、中嶋さんがきっと許さないと思う。副会長が一年生の男とつきあってるなんてバレたら恥をかいてバカにされて……きっと中嶋さんに迷惑がかかる。だから俺は必死で押し隠してる。何があろうとバレちゃいけない、それでも勘のいい女王様にはバレてしまったんだけども……。
 内緒にするってことは、誰にものろけられない。中嶋さんがどんな人で、一緒にいる時どんな人なのか、そんな自慢話を言える友達がいない、秘密の関係。不満なわけじゃないけれど、時々不安になるんだ。
 時々、大声でみんなに自慢したくなる時がある、俺と中嶋さんは付き合ってるんだって、幸せだって、叫びたくなる。
 つい学生会室で友達のメールの話を王様にしたら中嶋さんに聞かれて、気まずかったっけ……。卑屈になるのを一番嫌う人だから、言葉の奥に潜む羨む気持を気づかれたかもしれない。
 ……思い出に浸っている場合じゃないな。パソコンの電源を消して、ボストンの中の一番上に入れて持ち上げた。
 転校するのは明日、他の事を考えている暇はない。


 マンモス高校。まさしくそんな高校だった。
 昨日、新しい高校の近くにあるウィークリーマンションにたどり着いたのは夜で、荷物の整理と新しい高校に行く為の準備に追われて、殆ど寝る時間がなかった。
 BL学園を出て電車で約一時間の所にある緑ヶ丘高校は、山地を削ったようにくりぬかれ中に巨大な校舎が建てられていた。いくつもの校舎と体育館と広い校庭。大きさはBL学園と同じくらいかもしれない。全校生徒は一学年約十二クラス、一クラス三十人なので合計三百六十人、それが三学年分だから約千人だ。BL学園の約七倍の人数がいる共学校。雰囲気は全く違う。
 制服は紺のブレザーとシンプルで特徴のない白いシャツ、学年ごとに色が分かれたネクタイ。一年生は緑だ。靴も靴下もすべて校則で決まって皆同じ。私立の高校はたいていそうなのかもしれない。
 職員室に行って先生に挨拶するなり、いきなり連れられて朝の全校朝礼から参加することになって校庭に出た。千人近い男女が整列しているのを目の当たりにして面食らってしまう。こうやってみると人でできた森のようだ。
 俺のクラスは二組で、校長が挨拶している間に二組の男子の最後尾に並ぶよう案内される。最後尾から見る無数の紺色の後姿は圧巻だ。
 慌しく転入してきて考えたり悩んだりする暇がなかった分、今更ながら本当に違う高校に転校してきたんだって、いきなり実感が沸いてきてしまって緊張してきた。転入生の俺が気になるらしく、俺を見つめる視線が結構痛い。
 中嶋さんも三年生のところにいるのかな。中嶋さんが一緒に来ていると思うととても心強いよ、授業が終わったらさっそく会いに行こう、朝礼の間はそのことばかり考えていた。
 その日は緊張のしっぱなしだった。自己紹介に施設の案内、新しいクラスメイト。女子がいるのが新鮮で戸惑ってしまうけれど、BL学園に転入してきた時よりましかもしれない。入学した日から王様と女王様に案内されちゃったもんな……。
 二、三人の話せるクラスメイトができてホッとしながら、あっという間に授業が終わっていく。
 放課後、俺はすぐに三年生の校舎に向かった。人数が多いこの高校は学年ごとに校舎が異なるので渡り廊下を通らずに外に出て、二つ向こうの校舎まで歩いていく。授業を受ける為の校舎は合計四つあって、細長い建物が並行に立ち並んでいる。学年ごとの校舎と、科学や家庭科などの特別授業の教室と職員室が入った一つ。この四つの校舎はすべて三階建てで、どの階にも隣の校舎に渡るための渡り廊下があった。一年生の校舎の横には体育館と食堂、クラブの部室が入った平屋があり、全ての建物の正面には広い校庭が広がっている。
 新しい高校の景色を眺めていると、クラブ活動の掛け声が様々な所から聞こえてきて、活気があるのはBL学園と同じだった。少し色あせた白い校舎と、古びた体育館やプールなどの施設はよくある公立高校の校舎っぽい。BL学園とは正反対に位置するような学校だと思う。平凡で素朴、こういうのが普通の高校なんだって今更思ってしまう。BL学園にいるといろんな価値観が麻痺してしまってたみたいだ。
 一旦足を止めて、広い校庭の一番奥、二百メートル程離れた場所に植えられている見事な大きさの木を見つけた。その木の下はなだらかな丘になっていて、すべて芝生になっているようだ。周辺には小さな木と様々な花が植えられていて、鮮やかな色が見える。
 その中心にその大きな木は立っていた。学校の箱庭みたいなものだろうか。きっとあそこで生徒達がくつろいだり食事をしたりするんだろう。
 三年生の校舎に入ると、放課後なのであまり人気がなかった。時々すれ違う人たちは皆三年生なのでやはり一年生の校舎と雰囲気が違う。
 そういえば、俺中嶋さんのクラス知らないや……。誰かに聞かなくちゃ。俺は正面から歩いてくる二人組の男子に声をかけてみた。
「あ、あの、今日中嶋さんっていう人が転校してきたと思うんですけど……」
 二人は顔を見合わせてああ、と言った。やった、知ってるみたいだ。
「ああ、俺と同じクラスだよ、七組に入ってきた」
「今、まだいますか……?」
「いや、教室にはいなかったけど……」
 俺はお礼を言って三年生の校舎を出た。もう帰っちゃったのかな、中嶋さん……。今日一度も会ってないじゃないか、せっかく二人きりで転入してきたっていうのに……。
 携帯は使ってはいけない約束だから、連絡をとることもできないし、パソコンのメールだってダメだって言われてる。だから連絡をとるには直接会うしかない。
 探そうにもどこに何があるかわからないから見当をつけることもできなくて、結局中嶋さんに会えないまま俺は一人でウィークリーマンションに帰るしかなかった。


 なんとそれから一週間、俺は中嶋さんと一度も会えなかった。
 三年生の校舎に行く人は滅多にいないらしく、転入生である俺が頻繁に三年生の校舎に出向くのはとても目立つことを知った。クラスメイトに怪しまれて頻繁に行けなくなったのだ。三年生の校舎に入ってからも、一年が何しに来たのかといわんばかりの目で睨まれてしまう。
 中嶋さんがどこにいるのか、と聞くこともためらわれた。だって俺と中嶋さんは同じ日に転入してきたとはいえ、知り合いだとは公表していなかったし、転入したばかりの中嶋さんに一年の俺が尋ねてくるのはどう考えてもおかしい。三年生の校舎でも俺は怪しまれる存在になってしまいそうなのだ。始めの二、三日は休み時間にも行ってみたけれど、その後は放課後にしか校舎を訪ねることができない状況になってしまった。
 そして、中嶋さんが俺の所に訪ねてくることもなかった。
 一年生の校舎では、次第に転入生である俺への興味は薄れてきたおかげで見られる視線の数は減っていき、中嶋さんのこと以外は平穏な日々が続いた。例の脅迫メールを送った犯人に見つかったという連絡もないし、俺の周囲に変化はない。
 だから中嶋さんは俺の所に来ないんだろうか、何かあった時にだけ駆けつけるんだろうか。それならいつも俺と一緒に行動していないと無理なのに、一体どうしたんだろう。
 紺のブレザーの右胸のポケットには常にセンサーが入っている。三センチ四方の四角いグレーのキーホルダーのように止め具がついたもの。もし何かあればこのセンサーの蓋を開けて、中にある小さな黒いボタンを押せば三分以内に和希が助けにきてくれる。このセンサーがあればひとまずは安心だけど……。
 どうして中嶋さんに会えないんだよ……。
 まさかこんな状況になるとは思いもしなかった。だって中嶋さんは俺を守ってくれる為に一緒に来てくれたんだ。ボディガードとして来てくれたはずだった。中嶋さんが自分から俺を見つけてくれないと、こんな巨大な学校では偶然でも会うことはできない。
 もしかして、会わなくていいって思ってるのか? 俺は俺で適当にやれってそういうつもりなんだろうか。自分の身は自分で守れって、そういうことなんだろうか。
 もしかして……俺を守るためとか言って、違う目的があったんじゃないんだろうか。そんな疑惑が湧き上がってきて俺はブンブンと首を振った。
 そんなはずないよ。あの時の中嶋さんは真剣だったんだ、そんなわけない。
 BL学園にいた俺にとっては巨大としか思えないこの学校で、中嶋さん一人を探し出すのは至難の技だって……思い知っていた。


 休日、俺は部屋で寝て過ごした。新しい友人に誘われたけれど断った。外出もしちゃいけなかったし、友人に住んでいる場所を教えるような親しい仲にはならないよう注意されていたからだ。情報がどこかで漏れたり、その友人が信用できる人物とは限らないから、ときつく言われたんだ。そう言ったのは中嶋さんだった……。
 寝すぎてしまい頭が痛くて、何度も寝返りを打つ。BL学園の寮に毛が生えたようなウィークリーマンションで、家具は全部備えつきなので足りないものはない。不便なことはひとつ、毎日の食事で……。夕食はコンビニ弁当で済ますのが常になってしまった。
 中嶋さんはどこに住んでいるんだろう。てっきり俺と同じマンションだと思っていたのに、どの部屋にも入ってきた様子はない。ここじゃない場所に住んでいるんだろうけど、その場所を教えてくれなかった。
 中嶋さんも俺と同じようにBL学園とは連絡をとれないはずだ。今頃どうしているんだろう、俺と同じようにマンションにこもっているんだろうか。


 月曜日の朝礼で、一週間ぶりに全校生徒が校庭に揃っていた。
 その時なら中嶋さんを見つけることができるかもしれない、そう思って開始前から校庭に先に出て、揃い始める一年の列から三年の校舎の入り口を監視していると、中嶋さんらしき人が数人に囲まれるようにして出てくるのが見えて、そこへと駆け出していこうとした。
 けれど今声を掛けたら知り合いだっていうことがバレてしまうと思いとどまり、はやる心を必死で抑えながらその姿を追った。
 一週間ぶりに見る中嶋さんだった。
 バランスのいい長身で、紺のブレザーと三年生の朱色のネクタイをもう自然に着こなしている。BL学園にいる時と少し雰囲気が違うのは、王様のようにシャツのボタンをいくつか外してネクタイを緩めているからだろうか。
 近寄りたい衝動をこらえて下ろした拳を強く握り締める。同時に喜びとも怒りともいえない涙がじんわりこみ上げてくる。一週間ぶりに会えてうれしいのに、じゃあどうして会いにきてくれないんだっていう怒りとごちゃまぜになる。
 会わない間に中嶋さんはこの学校に溶け込んで、なにくわぬ顔をして学校に通っていたんだ、俺をまるで無視して、ボディガードなんて嘘っぱちで。
 どうしてなんだよ、どうして……っ。
「おい伊藤、大丈夫か? 顔青いぜ」
 前に並んでいたクラスメイトが声をかけてくれたけど、大丈夫だって答えるだけで精一杯だった。視界が揺れて、呼びかけているクラスメイトの声がだんだん遠くなっていく。どうしたんだろう、と思ったときには身体の力が抜けていて、地面が歪んでいくのがスローモーションのように見えた。そのまま俺は半分気を失って倒れてしまい、午前の授業の間保健室で過ごすことになってしまった。
 保健室にいる間、先生じゃない人がドアを開けてくるのを期待していた。もしかしたらみっともない栄養不足なんかで倒れた俺を心配して駆けつけてくれるんじゃないかって。
 ……だけどいつまで待っても、ドアは開かれなかった。
 一年生一人が朝礼中に倒れたことなんて話題にも上がらないだろうから、知らないだけだよな、きっと……。そう思わなきゃ……。

 
 転校生である俺にはまだ学校内の話題には疎かったけれど、今年の空手部が初の全国大会出場を果たしたということは耳に入ってきた。校門に出場決定したという垂れ幕も下がっていたし、空手部の人がいない俺のクラスでも少しだけ話題になっていた。今まで弱小で無名だったから驚くべき出来事らしい。
「一人すごいのが入部してきたらしいぜ、中学の時全国大会で優勝したやつらしい」
「なに、今までそいつは入部してなかったのか?」
「それがさ、転入してきたばっかりの三年生なんだと」
 授業の合間の休み時間、前に座っていたクラスメイト二人が話している話題に俺は飛びついた。
「転校生っ!?」
「ああ、伊藤と同じ時期に入ったやつだって」
 俺の大声にたいして驚きもせず振り向いて答えてくれるけれど、俺は彼らを見ていなかった。
 同時期に入ってきた転入生は俺と中嶋さんしかいないはずだ。それに、中嶋さんは空手をしていたって聞かなかったか? まさか、まさか……中嶋さんなのか?
 俺は放課後を待ってチャイムが鳴ったと同時に、空手部の部室が入る一階建てのプレハブに向かった。同じようなドアが並んでいて、ドアの上には白いプレートで部の名前が刻まれている。その中から空手部を探し出してドアをノックした。返事が返ってこないので、そっとドアを押して開けてみると、二十畳程の広い部室の真ん中に置かれた大きな長机に、数人の部員が座っていた。中嶋さんの姿はない。
「何?」
「いえ、あの……ここに中嶋さんっていう人がいないかと思って……」
「道場に行ってるよ」
 あっさり道場の場所を教えてくれて、俺はその足で道場へと向かった。部室のある建物の裏側に、同じ大きさぐらいの建物が建っていて、そこが空手や柔道などの室内競技の練習場だった。幅を開けて五つ程のドアがあり、透明のドアの中は畳だったり床だったりで、柔道やフェンシングの練習をしている姿が覗けた。空手部の胴着を着た数人が、柔道部の横にあるドアの向こうに見えて緊張する。
 六人が二人組になって組み手をしている。その中に、中嶋さんがいた。
 黒い帯を締め、白い胴着を着て姿勢を正し、足を肩の広さ程開いて、相手の拳を受けている。滅多に崩れない髪は少し乱れ、額には汗が光っている。空手に没頭している姿も、眼鏡をはずして何かをしているのを見るのも初めてだった。
 素人目にも、足が竦んでしまいそうな中嶋さんの気迫が伝わってきて、中嶋さんが相当強いってことがわかる。
 練習中に声をかけるのはためらわれて、俺は練習が終わるまで部室が見える場所で待っていることにした。今日こそはつかまえて話をしようと決心していた。
 外に設置された水道場に腰を下ろして、待っている間俺は考えいた。ずっと会えなかったのは、空手部に入部していたからなんだろうか。だけど、何故部活を始めたのかいくら考えても理由が浮かばない。BL学園にいるときは学生会の仕事に追われていたから、ここに来て突然空手をしたくなったんだろうか。
 中嶋さんが全国大会まで行かせたんだってことは確実だ。強いんだろうなって想像はしていたけど、そんなに強かったなんて知らなかったよ。中学時代に全国大会で優勝する実力だったなんて。もしかしてその才能が認められてBL学園に入学したのかもしれない。
 この高校に入学してから何もしていない俺とは大違いだよ……。
 


 いつの間にか日が落ちて薄暗くなっていき、足からひんやりとした冷たさを感じて、ぶるっと身体を震わせた。部室を見ても灯りが消える様子はない。
 会ったらまず何て言おうと考えていたとき、部室のドアが開いて数人が出てくるのが見えて俺は立ち上がった。中嶋さんがその中にいたんだ。
 三年生だけのその団体は、校門に向かってこちらに近づいてくる。近づく程に心臓が痛い程に高鳴っていき、聞こえるんじゃないかと思うぐらいだった。
 あと数メートルに近づいた時、中嶋さんが立ち尽くす俺を見つけて、目が合った。何か合図を送るような目をしているように感じて、声をかけるのを躊躇している間に、中嶋さんは一言も言葉を発さず四人の三年生は俺を横切った。振り向いて後姿が消えるまで目で追っても、中嶋さんは振り向かなかった。
 俺はしばらくの間そこに立ち尽くしていた。
 話かけるなって目が語っていた。近づくなって……他人のふりをしろって。
 

 


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