□セカイはふたつだけ□



「……うん、そう、床と机は綺麗にして、そのダンボールは出しておいてよ」
 寮のロビーの端に設置された電話機で、俺は焦る気持ちを抑えながら話をしている。
 現在夕方の五時。寮の自分の部屋に戻る前に、絶対に電話しておかなくちゃいけなかったから。
「とにかく、できるだけ掃除しててほしいんだ、悪いけど……うん、うん、……ありがとう」
 電話の相手は自分の母親。そう、俺は今自宅に電話をしてる。
 大型休暇の前に連絡をとることはめずらしいので、母さんはいきなりの電話に驚いたみたいだ。
 そりゃあそうだろう。突然、今日今から俺が自宅に帰るうえに、お世話になっている先輩まで連れて行くというんだから。焦り始める声を聞いていると、俺も煽られて更に落ち着かなくなる。
 驚いたのはこっちの方だと本当は言ってやりたい。
 十一月に入ってから、俺はずっと頭を抱えていた。十九日は中嶋さんの誕生日なのに、どんなプレゼントにすればいいか全然浮かばないんだ。散々悩んでいるうちにとうとう誕生日当日になってしまい、このままではらちがあかないと、とうとう俺は強硬手段をとることにした。
 数時間前の学生会で、なにげないふりを装いながら中嶋さんに「どんなものがほしいか」と勇気を絞って尋ねてみた。すると、中嶋さんは全く表情を変えずにちらりと俺を見やり、なんと「お前の家に招待しろ」ととんでもない要求をしてきたのだ。
「む、無理です、絶対無理ですそれはっ!」
「だったら何もいらん。じゃあな」
「えぇっ、ちょ、ちょっと、中嶋さん!」
 今日の仕事を終えて帰ろうとする中嶋さんの腕を掴み、ドアの前に立ちふさがる。
「ほ、本気なんですか……っ!」
「今まで冗談を言ったことなどない」
 そんなことはないだろう、と追求する場合ではなく、何か物にしてもらえないかと説得しても、中嶋さんはその度に帰ろうと俺を押しのける。何度も何度も押し問答を繰り返し、とうとう俺は譲歩せざるをえなかった。
 今日は誕生日で、なにがなんでも祝いたいと思っていたから。
「わかりました、じゃあ、今度俺と一緒に帰りましょう、年末にでも……」
「今日の夜だ」
「……は……?」
 きらり、と眼鏡がライトに照らされてきらめく。
「俺の誕生日は今日だろう、年末じゃあ意味がない」
「だって、明日は学校じゃないですか!」
「今から出て朝早く出れば間に合う。啓太の家なら二時間程で行けるだろうが」
「あ、あの、突然そんなこと言われても、いきなりすぎて……!」
 中嶋さんが自分の要求を曲げたことはただの一度もない。つまり、俺がどう断ろうとも諦めてくれる可能性はゼロというわけで。
「ぼんやりしてないで、さっさと行くぞ。部屋で待ってるから十分以内に迎えにこい」
「あの、ちょっとっ、中嶋さん……っ!!」
 叫びも虚しく、中嶋さんは既にドアの向こうに消えたあとで、学生会室に俺の声がこだまする。
 一体、いきなり何故中嶋さんはこんなことを言い出すのだろう。いつも強引で勝手だけれど、ここまで意表を突かれることは滅多にない。
 家に行きたい理由はたいしたことじゃないはずだ。ただ行ってみたい、暇だから、あとは俺を困らせたいから、そんな程度のものだろう。
 つまりただの気まぐれ、そんな言葉が浮かんでくる。
 俺は大きく溜息をついてしまう。
 自分の誕生日だからって、いつにもましてたちの悪い気まぐれだよ……。


 BL学園の制服を着たままの二人が学園島から出て、およそ二時間。
 いつも使っている、自宅へと帰るルートを進んでいく。いつもと違うのは、横に大きな身体をしたやっかいな人がいるということ。
 編入した当日に、初めてBL学園の制服を着て電車に乗ったけれど、その時と同じくらい俺達は目立っているらしい。電車の中でもどこでも視線を感じる。架空の存在とさえ思われているBL学園の生徒が、こんな時間に闊歩しているんだから驚くのも無理はない。
俺だって、こんな格好で遠出するとは思わなかったよ。しかも、横には制服じゃなくたって目立ってくれる中嶋さんがいるし。覚悟は決めたものの緊張している俺とは反対に、中嶋さんは普段と変わらない様子だ。
 自宅への最寄の駅に到着したときには、時間は夜の七時を回っていた。物心ついたときから利用している駅に降り立つと、やっぱり懐かしい。
 住宅街の中をしばらく歩いて、見慣れた我が家が見えてくる。
 玄関のチャイムを押してしばらくすると、懐かしい母さんの声が家の中から聞こえてきた。待ちわびていたのか、すぐに玄関のドアが開かれる。廊下の奥からこちらに迎えに出てくる妹が見える。
「ただいま、母さん」
 満面の笑顔で出迎えてくれて、俺が先に入り、中嶋さんを招き入れて母さんに紹介する。
「この人が、中嶋さん。3年生で学生会の副会長をやってるんだ」
「初めまして、伊藤君にはいつもお世話になってます。突然お邪魔して申し訳ありません」
 呆然と口を開けたままの母さんに、優雅な動きで中嶋さんが手を差し出して、半分強引に母さんの手を握り握手をする。横で同じように突っ立ったままの妹は、何も言葉を発さずに中嶋さんの姿を呆然と見つめたままだ。
 数ヶ月ぶりに再会した俺の存在は、最早忘れられたらしい。
 確かに、普通の一般家庭に突然中嶋さんがやってきたら驚くかもしれない。容姿もそうだけれど、隠すことのできない生まれのよさや品格。圧倒されるほどの存在感。俺が初めて出会ったのは才能溢れる人たちが集まるBL学園だけど、その中でも特に中嶋さんは目立っていたぐらいなんだから。
 だけど。なんだかむずむずしてしまうような中嶋さんの笑顔はいただけない。俺の家族に愛想をふりまいてくれるのはいいんだけど、少し笑っただけでも影響力がすごいってわかってやってるんだろうか。
 にこやかに、そして優雅に中嶋さんは母さんの話に付き合っている。母さんの後ろに花が咲いている。
 ……わかっていてやってるんだ。わざとに決まってる。
 営業スマイルに騙されて、あとで痛い目に合った人を大勢見ている俺はこっそり溜息をつく。こうなるんじゃないかって予想はしていたんだけど、さすが俺の家族だけあって、もろに顔に出すぎだよ。
 声が一オクターブ高くなった母さんに促され、中嶋さんが家に上がると見上げる長身に驚いて、啓太と違って背が高いわねえ、なんて大喜びしてる。
 なんだかもう、すべてが恥ずかしい。こそばゆい。
「中嶋さんっ、もう部屋に行きましょう、ささ、こっちです」
 母さんと妹に囲まれないうちに自分の部屋に促す。もう行くのかと不満を漏らす二人を無視して、中嶋さんの背中を押して階段を上る。
「ここです、小さい部屋ですけど……」
 狭くて短い廊下の奥に案内する。部屋のドアを開けてまず中がちらかっていないか確認してから、中嶋さんを部屋に押し込む。
「お茶を入れてきますから、適当に座っていてください」
 めずらしそうに、八畳ほどの部屋を見渡して返事をしない中嶋さんを置いて、部屋を出て急いで階段を降りる。
 ……なんか、変だ。
 一階に下りると、予想通り、部屋に入っていいか、一緒に話をしないか、どんな人なんだと山のような追求が俺を待ちうけていた。すべてかわしてとっとと逃げ出し、お盆を持って階段を駆け上がる。
 ドアを開けると、中嶋さんはフローリングの床に腰を下ろし、膝を立てて、背を俺のベッドにもたれさせていた。狭い部屋でもないのに、中嶋さんがいるだけでとても窮屈に感じる。
 おとなしく座ってまだ部屋を見渡しているのを見ていると、まるで毛並みのいい高級な動物が、新鮮な環境に興味を示してるみたいだ。
 ……ものすごく、違和感がある。
 なんの変哲もない、いかにも高校生の男子といえる部屋に、違う世界からやってきた人間が手違いで俺の部屋に迷い込んでしまったような違和感。
 この部屋と中嶋さんが、あまりにも似合わない。生活感のある家に馴染まない。
「……お待たせしました」
 小さな一人用のローテーブルの足を広げて、そこに持ってきた盆を乗せる。盆の上には、直径十五センチ程の小さなホールケーキとコーヒーが乗っている。電話で先輩が誕生日なんだって漏らしたら、母さんが買ってくれてきていたんだ。おせっかいだけど、俺が何も用意していなかったので少しだけ感謝する。中嶋さんが甘いものが好きかは別にして、これで少しは誕生日っぽい。
「あんなに、愛想振り向かなくてもいいですよ……」
「啓太の家なんだから当然だろう。いきなり来たんだしな」
 強引に来たいと言い出したのは中嶋さんだったくせに、と言いたいのを我慢する。もうここまで来てしまったんだから、文句を言ったって仕方がないよな。
 それから、俺がケーキを取り分ける間も、食べ始めてからの間も、中嶋さんは何を聞くわけでもなくずっと無言だった。もとから無口な人だから、二人でいるときに会話が多いわけじゃないけれど、正真正銘の自分の部屋で二人きりは初めてで、俺は全然落ち着かない。
 ケーキを食べながら、中嶋さんを盗み見る。
 過去、何度も友達を招待してきたけれど、自分の方が緊張しているなんて初めてだ。誰よりも大きくって、態度もでかい。住んでいる俺達家族さえ圧倒する人。
 しかも、この人は俺の友達でも先輩でもなくて、恋人というやつなんだ。世間で言われるようなものとは大分かけ離れているけれど。
 恋人。そういえば俺、そんな人を連れてきたことは一度もなかった。緊張して落ち着かないのは、そのせいもあるのかもしれない。落ち着かなくて、普段より相手の行動がやけに気になってしまうところとか、どんな会話をすればいいかわからなくなるところとか。
「……あ、あの、タバコはいいんですか?」
 長い沈黙に耐えられず、どうでもいいことを聞いてしまう。
「ああ、持ってきてない。啓太、あの大きなのは何だ?」
 目線の先を追って振り向くと、部屋の隅に人の大きさ程のものがすっぽりと布に覆われている。
「懸賞で当たった健康器具です。置き場所がなくって俺の部屋に置かされてるんです。母さんがいつも勝手に俺の名前で応募するから、どんどん増えて場所がなくなってしまって」
「本当に運がいいんだな、今までどんなものを当てたんだ?」
 俺のことを、運がいいことを聞かれたのは初めてかもしれない。思い出す限りのものを言っている間、中嶋さんは楽しそうに黙って聞いている。
「でも、勝負には弱いから、いまいち役に立たないんですよね」
「俺達でカジノでも行けば、一儲けできるかもな」
 中嶋さんは運というより勝負強い人だから、二人が揃えば本当に一儲けできるかもしれない。カジノっていえばラスベガスとかなんだよな。そんな場所に二人で行くことがあるんだろうか。二人で旅行するなんて現実感がなくて、遠い夢のように思えてしまう。
「啓太。アルバムとかはないのか?」
「えっ? そりゃあありますけど……」
「お前の昔の写真が見たい」
 アルバムを見せ合ったりするのは友達同士でも別に普通のことなのに、中嶋さんが言うとなんだか似合わない。
 どきどきしながら、立ち上がって本棚の一番下にあるアルバムを取り出し、胡坐をかいた中嶋さんの右横に正座して差し出す。
 中嶋さんの太腿の上に乗せて、開かれていくのは俺の生まれた時からの数々の歴史だ。
 こんなものを見たいだなんて、一体どうしたんだろう。中嶋さんらしくないと思うのは気のせいだろうか。そう思いながら、様々な写真を指差し説明を求める中嶋さんに、次第に説明に夢中になってくる。
 だって、俺のことに興味を示してくれるんだから、うれしくないわけがない。
 中学時代のこと、数ヶ月しかいなかった前の高校のこと、所属していた演劇部のこと。もっと遡って小学校や生い立ち。興味深そうに、楽しそうに聞いてくれる中嶋さんを見ていると、うれしくてどんどん言葉が溢れてくる。
 しまいには家族の秘話や初恋の話まで及んで、そこではっと我にかえって口ごもると、中嶋さんがいじわるそうに唇を歪めて言った。
「何だ、続けないのか?」
「……あ、いや、……、俺の事ばっかりでつまんないですよね。見終わったし話を変えましょうか」
 その時、部屋の灯りが何度か点滅した。しばらく点けていなかったせいか電球の寿命がきているみたいだ。
「じゃあ俺から質問させてもらうが、いつもどこでオナニーしてるんだ?」
「……え、……ぇええ……?」
 どうしていきなりそっちの方向にいくんだ。いつのまにか触れ合っていた肩に気が付いて思わず離してしまう。
「したことがないとか、ふざけた事は言わなくていいぞ。正直に答えてみろ」
 どうして正直に答えなくちゃいけないんだ。ケーキを前にして語る話題じゃないよ。
「な、なんで……っ」
「知りたいから」
 興味があるからって、真正面から聞くような事じゃないだろう。恥ずかしくて答えられるわけないじゃないか。
「……まあ、適当なところで……、決まってないです」
「嘘つけ。お前のことだからする場所は決まってるだろう」
 笑ってごまかしても無駄だった。しかも図星をつかれて驚いてしまう。なんでそんなことを言い当てるんだ、俺ってそう見えるのか。
 ごまかす程更に追求されると覚悟して、目を合わさないようにして答える。
「……べ、ベ……ベッド……とか……、かな……?」
 聞こえなくてもいいので、消え入るような小さな声で。すると「お前らしい」と笑われた。一体どこでそう思うんだろう。
「啓太は服を着たまましそうだな。横にティッシュの箱も用意して、行儀よくベッドの上で座ってやってるんじゃないか? エロ本よりも想像しながらするタイプだろう。お前の妄想は堂に入っていそうだからな」
 どんどんエスカレートする論説に、体温計のように身体の下から体温が上がって赤くなっていく。
 自分でさえ知らなかった事実を、どうしてここまで言い当てるんだ。確かに、例えば中嶋さんに学生会室でされたあと、確かに同じ方法でしてた。人に言えない関係になってからは、一人でする時は中嶋さんにされたことを頭の中で何度も反芻してる。
 ……ティッシュも用意、してるかもしれない。
 だけど、どうして俺ばっかり追求されなきゃいけないんだ。
「……そういう中嶋さんはどうなんですか、教えて下さい」
「断る。お前のオカズにされる」
「そ、そんなことしませんよっ!」
 思わず叫んでも、まったく動じないどころか、挑発するような目で睨み返してくる。
「ふぅん……どうかな。断言できるか?」
「当たり前じゃないですか!」
 中嶋さんの目を真正面から見るのは相当の努力が必要だけれど、ここだけは負けられない。至近距離でしばらく睨み合って、観念したのか中嶋さんがふと視線を緩める。
「じゃあ特別に教えてやろう。いい女とした事を思い出してするな、一人でやる時はあまりないから回数は少ない、場所は決まってない。まあこんなところだ」
「……そうですか……。それはよかったですね」
 真顔になった俺は、中嶋さんの横から元の場所に戻ろうと腰を上げる。とたん腕を掴まれて引き戻され、胡坐を解いた中嶋さんの足の間に収まった。横抱きにされて、びっくりして動こうとすれば、腰を抱かれて左半身がぴったり中嶋さんの身体に貼りつく程さらに引き寄せられる。
「お前は本当に顔に出るな」
「放っといて下さいっ」
「じゃあ、どう言ってほしいんだ? ちゃんと頼めば言ってやらんでもない」
「そんなこと知りませんっ、ちょっ、離して下さい中嶋さん、中嶋さんってば……っ!」
 喚く俺を、中嶋さんが人差し指を自分の唇に寄せて黙らせる。興奮していつの間にか声が大きくなっていたみたいだ。こんなに密着している状態で、今家族に部屋に入って来られたら言い訳できない。慌てて離れようとすると、今度は腰に両手を回して引き寄せられる。
「や、やばいですって、こんなことしてたら……中嶋さん……!」
「じゃあもう少しおとなしくしてろ」
 なだめるように背中を撫でられる。やさしい大きな手の感触が気持ちよくて、焦る気持ちが次第に落ち着いてくる。けれど、そもそも興奮させたのは中嶋さんなんだ。
 ふてくされていると、更に頭まで撫でられてまるで子ども扱いだ。
 じっとしていると、中嶋さんの体温が身体に伝わってくる。
 バカな俺は、すぐに心臓が跳ね上がって緊張し始める。まさか自分の部屋で、中嶋さんとこんなふうに抱き合っているなんて信じられない。この中嶋さんにすっぽり包まれているような格好なんて、まるで本物の恋人同士じゃないか。
 首筋に長い指が触れて身体が竦む。顎を掴まれて上向かされて、睨もうとしたその先には少しだけ甘さを秘めた涼しい眼がある。
瞳の奥に熱いものを見たような気がして、目が離せなくなる。
「……本当は、お前の事を考えてる」
「……っ……」
 顎を掴んだまま、親指で俺の下唇をなぞりながら、低い声で呟くように囁いてくる。
「この唇で、俺のを咥えている時のお前は本当にいい顔をする。知っているか? 焦らしてやるとしゃぶりながら腰を振るんだ、早く尻に入れてほしそうにな。涙を浮かべて、たまらないって顔で耐えている啓太を見ていると、もっといじめたくなる」
 こみ上げてくるものに耐えられず、目を閉じる。
 これ以上言わないで下さいって言いたいのに、声が出てこない。やめて下さいっていう言葉が言い出せない。震えてくる唇に中嶋さんの親指が入り込んできて、舌が指先に触れる。
「……痛いって泣くくせに、アソコをびしょ濡れにさせて、一生懸命俺の名前を呼ぶときの啓太は」
 唇の端を僅かに上げて、頭を傾けて俺の顔を覗き込んでくる。そんな目で見られたら、笑われてもちっとも嫌だと思えない。
「……すごく、そそられる」
 吐息が肌に触れて、背筋がぞくりとざわめく。
「っあ!」
 唇から離れた手が、いきなりズボン越しに触れてきて思わず身体をよじった。触られて、ソコが布を突っ張らせていることに気付いてしまう。指先がジッパーの上をゆっくりと、布越しに裏筋を伝っていく。
「や……っ、あ」
 亀頭の部分を軽く弾かれて、先から滲み出したのを感じる。
「やめ……汚れ、る……」
「そうだな、このままだとズボンまで汚れるかもな」
「じゃ、やめて下さい……っ」
 そうか、と呟いてあっさりと手が離れていく。ブレザーの隙間から見えるズボンの違和感が恥ずかしくて、手で隠したいけど触れたら布に染み出してしまいそうで触れない。
 それよりも、射精せずに抑えることが出来ない程立ち上がっているそこから、意識を離せない。中嶋さんの身体に触れたままだと、絶対に無理だ。
「我慢できないなら、ファスナーを下ろしたらどうだ? 汚さずに済むだろう」
「できません、そんなの……っ、もし、見られたら、……」
 そんな所を露にしているところを家族に見られたら、俺、一生家に帰ってこれなくなる。
「放っておけるのか? ズボンを汚してもいいなら、別に構わんがな」
「……っ」
 汚れたズボンと下着のままで学園に帰るのは嫌だ。かといってもう抑えられる状態じゃない。ソコは、解放されたくて荒い息に合わせて揺れている。意識が集中して、射精すること以外何も考えられなくなってる。
 バチ、と大きな音がして部屋の蛍光灯が点滅し始め、今度はしばらくの間続く。黄ばんだ灯りが部屋を照らしたり消えたりを繰り返す。
 けれど今の俺はそれを気にしている状態じゃなくて。
 ファスナーだけ下ろせば、誰か部屋に入ってきてもすぐに隠せるかもしれない。ソコを覆うきつい布から今はただ早く解放されたい。
 覚悟を決めて、力の入らない手でゆっくりファスナーを下ろしていく。淡いグレーの下着が隙間から覗いて、布の合わせ目から指を入れると、濡れた芯に触れた。軽く押すと、根元から陰茎が勢いよく外に飛び出す。
「っゃ……」
「こんな簡単に大きくしてるようじゃあ、オナニーも一分ももたなかったんじゃないのか?」
 服はどこも脱いでいないのに、ファスナーの間から肉の色をしたものを出している自分がはしたなくて、見ていられない。
 自分の部屋で、昂ぶっているそこを人に見せるなんて、中嶋さんの前でこんなことをしているなんて、信じられない。なのに甘い疼きが身体を支配して、恥ずかしいのに逃げ出せない。
 中嶋さんが、テーブルの下に置いてあったティッシュの箱を手を伸ばして持ってくる。
「膝を立てて正面を向くんだ」
 言われるまま中嶋さんを正面にして膝を立てる。座った中嶋さんの両肩を掴むと、すぐにソコが大きな手に包まれる。
「……ぁ――ぁ……」
 全身が痺れてくるような快感が突き上げる。そのままリズムをつけて根元から扱かれると、身体の力が抜けて中嶋さんの肩に額を擦り付けてしまう。
「……気持ち良さそうだな」
 耳元で楽しそうに、いちいち言わないでほしい。大きな声をあげまいと歯を食いしばると、その様子を笑う吐息さえ、全身が震える程の快感が走る。
 たくさん触ってほしいのに、手の中に腰を突き出すと逃げていき、引くと強く握ってくる。だけどその力は弱くてやさしすぎて、自分からそこに擦り付けようと、腰を前後に揺さぶってしまう。
「や、……っ、も、もっと……、つ、よく……っ」
 指を皮膚に喰いこませて、大きなストロークで扱かれる。
「ぁあっ、……ぅ、あ……!」
 部屋に響くのは、俺の荒い息と濡れた音だけ。
 肩を掴む手に力を入れて、頭を上げて中嶋さんの顔を覗き込む。自分からその唇に吸い付いて、舌を入れる。中嶋さんがすぐにそれに答えてくれて、熱い舌が絡みついてくる。
「ぁ、……む……、っ……」
「……イキそうになったらちゃんと言えよ」
 俺は嫌だと首を振っていた。
 できることなら、もっと長い間中嶋さんに包まれて、濃密な空気を味わっていたい。
 少しでも長引かせたくて、身体を固まらせて射精に耐えようとする。食いしばった口から嗚咽が漏れて、きつく閉じた目尻から涙が滲む。
 だけど、親指で射精を促すように先端をやんわりと揉まれてしまえば、我慢なんて簡単に打ち砕かれて。
 悟った中嶋さんが、素早くティッシュで覆った手の平で亀頭を包み込む。そのひんやりとした感触と、ソコが大きな手で包まれている光景に、俺は抵抗も虚しくあっけなく射精した。
「……ぁ、ぁ……ぁ」
 竿を扱いていないから、ゆっくりとティッシュの中に少しづつ精液が出ていく。始めの迸りがおさまった後も、中嶋さんがティッシュを離して竿を握りこんできて、乳搾りみたいに何度も残った精液を揉みだされる。
「……ぁ、っあー……、 う…っぁ」
 身体を捩ってその強烈な快感に耐える。最後の大きな雫が、床に糸を引いて落ちていく。
「やはり、一分ももたなかったな」
 力なく座り込んで荒い息をついている俺に、汚れた手を拭き取りながら楽しそうに中嶋さんが言った。息が整わなくて頭が真っ白の状態では、何も言い返せない。
 だけど、胸に頭をもたれさせても、身体にしがみついてみても、中嶋さんはしたいようにさせてくれる。
ファスナーを上げてくれたときは、つい顔をまじまじと見つめてしまった。
「……あの、中嶋さんも……、その……」
 完全に疼きが治まったわけじゃなかった。もっと身体の深いところに熱が灯っていて、まだ何かを期待してる。つい中嶋さんの服を掴む手に力がこもる。
「お前の声はうるさいし、よく動くから下に響くしな、有難いが遠慮しておくよ。それよりそのティッシュは上手く隠して捨てておけよ」
 その言いぐさはまるで、俺のせいで出来ないみたいじゃないか。
 確かに、最後までしてしまったら自分でもバレない自信はないんだけど。でも、俺だけしてもらうなんて申し訳ないし、なにより、俺も中嶋さんにも触れたい。
「じゃ、じゃ……あ……、口、とか……」
「……口だけで俺をイかせたことがあるのか?」
 顔を覗き込まれてそう突っ込まれると、俺は俯いてしまうしかない。確かに今まで成功したことは一度もないのだ。 
 その時、俺の射精が終わったのを見計らったかのように、突然大きな破裂音とともに部屋が暗くなった。とうとう電球の寿命が尽きたみたいだ。
「……新しい電球に替えましょうか」
「いや、もういい。あと数時間もすれば出なきゃならんしな」
 それに真っ暗じゃないと言って、中嶋さんが窓の方を見つめる。俺も見てみると、大きな窓から満月に近い月がカーテンごしにぼんやりと見えている。真っ暗にならずに、辺りが青白く光っているように見えるのはそのせいだ。
 もっと部屋を照らせるよう、立ち上がって白のカーテンを開ける。
「少し寝ておくか?」
 ベッドの上には何もひかれていなくて、裸の状態になっている。二人は寝られないということで、別室に布団を用意してもらってるんだ。
 だけど、今はここから動きたくなかった。
「俺、起きていたいです、もう少し、中嶋さんとこうしていたい」
 中嶋さんは何も答えないけれど、動かないということは願いを聞いてくれたに違いない。
 気が付けば夜の十二時を過ぎる直前で、俺は言うのを忘れていたお祝いの言葉を口にする。
「また、歳が離れちゃいましたね。せっかく五月で縮んだと思ったのに」
 青い光に照らされる中嶋さんの笑みは、とても綺麗だ。硬質の肌が更に冷たく、怜悧な顔がもっと澄んで透明感を増している。なのに強い力を宿す瞳は熱く、俺を落ち着かない気分にさせる。
 やっぱり中嶋さんは俺の部屋には似合わない。俺と一緒にいるのに、違う所に存在しているように見えるんだ。
 それは、この部屋でなくても、いつでも思っていたことだけど。
 いつまでも近づけなくて、この距離を縮めることはできないんだろう。
 だけど、今は。
 中嶋さんが横に座っている。肩を寄せ合って、二人きりで。
 ここにいる事を確かめたくて、その手を捜しあて、握り締める。中嶋さんは何も言わずにされるがままになっている。
 こうやって、BL学園を出たあとも一緒にいてくれるのだろうか。今そう聞けば、中嶋さんはなんと答えるんだろう。
 青白い光は、あの日の夜を思い出させる。
 襲われていた俺を助けに来てくれて、その後初めて俺は抱かれたんだ、ひどく強引に。だけど俺もそうされたくて身を委ねてた。あの時から、俺は中嶋さんだけのものになった。
 だけど、それは学園内だけでのこと。
 もしかしたら中嶋さんとの関係は、学園島を出れば消えてしまうんじゃないかって、心のどこかでそう感じてる。考えたくないことだけど。
 BL学園の中ではすべてが架空で、俺がいるここの世界とはかけ離れているから。
 島を出て待っているのは、本当の俺の世界。
 家に帰る度に、そう思ってた。現実に戻る俺がいた。
「やっぱり……変です。俺の部屋に、中嶋さんがいるのが……」
 中嶋さんは何も答えない。
 だけど今だけはここに、中嶋さんがいる。俺の世界に。
 俺が生きてきた生活の中に、中嶋さんが入りこんでる。


 目が覚めると、暖かい枕の上に頭を乗せているのに気が付いた。ちょっと高くて、いつもの固さじゃない。
 しかも、寮の部屋じゃない。
「わっ!」
 一気に記憶が蘇る。中嶋さんの膝の上から慌てて頭を起こすと、中嶋さんはずっと起きていたのかすぐに目が合った。
「す、すいません俺……っ」
 辺りは僅かに明るくなっていて、目をこらして時計を見ると朝の六時を過ぎたところだ。結局俺は中嶋さんの足を膝枕にして寝てしまったらしい。
「そろそろ出るか、丁度いい時間だ」
「え、あっはいっ」
 早い時間だから、家の人はまだ誰も起きていない。早朝に出ると言っておいたので勝手に帰っても大丈夫だ。二人で部屋をこっそり出ていき、玄関へと向かう。
 ドアを開けると少し肌寒い空気に包まれて、思わず深呼吸する。後ろを振り返ると、玄関に誰も出てくる気配はない。そっとドアを閉めてから、急に不安が襲ってきて進めなくなってしまう。
「……どうした」
 先に門から出ようとした中嶋さんが怪訝そうに振り返って、俺は目を合わさずに答える。
「昨日のこと……バレなかったかな……」
 昨日の中嶋さんと俺の行為に、気付かれてなかっただろうか。している間に音をたてていたとか、ドアの向こうで聞かれていたらどうしよう。顔を合わせずに出てきたけれど、もしかして気が付いていて、俺の顔を見れないから出てこなかったのかも。
「それは大丈夫だろう、昨日あれから話した時は普通だったしな」
 驚いて、門を開けて外に出て行こうとする中嶋さんを慌てて追いかける。
「中嶋さん、話したんですか?」
「ああ。母さんとな」
 俺が寝ている間に、中嶋さんはどうやら下に降りたらしい。しかも話をしていたなんて。今度は別の不安が襲ってきて思わず聞いてしまう。
何を話したのかもすごく気になる。
「……母さん、何か失礼なこと言ってませんでしたか?」
 昨日の母さんの状態を見ていたら、どんな様子だったのか簡単に想像できてしまう。
 もうしばらくは俺の家に来ることはないだろうけど、中嶋さんがもう来るのを嫌がったりすれば、それはそれで悲しい。
 突然中嶋さんが立ち止まり、振り向いて後ろをついてくる俺を真剣な目で見下ろしてきて、何かあったのかと心臓が跳ね上がる。
「……や、やっぱり何か……っ」
「正月にまた来ることになった」
「へ……、……ええっ!?」
「一緒に初詣だそうだ。楽しみだな」
「嘘っ!!」
 いつの間にそんな事になってるんだ。ってか中嶋さんがそんな約束してくるなんて信じられない。
「……あの、冗談ですよね……?」
 何も答えず、いつもの意地の悪い笑みを浮かべて俺を見たあと、また歩き始めて慌てて追いかける。何度も冗談かと聞いてみても、返事は返ってこない。
 まさか。中嶋さんがまたここに来るというのか。それも、俺の意思は完全に無視されて。
俺だって来てほしくないわけじゃないけど、いろいろと心配することが多すぎて、しょっちゅうだと多分心臓が持たない。昨日の行為だって、今度はもっと先まで及んでしまいそうな自分がわかってるから、尚更恐ろしい。
 朝焼けの中、喧騒の前の静まり返った住宅街の中を二人で駅に向かって歩く。
 肌寒い空気は、眠気を覚ましてくれて気持ちがいい。
中嶋さんの後姿を見ているうちに、次第に駅が見えてくる。駅の売店が閉まっているのを見て、ふと思い出した。
 結局、慌てることばっかりの誕生日だったけれど、ふと気が付けば俺は何もプレゼントしていなかった。中嶋さんの願いは叶えたわけだけれど、それもなんだか納得いかない。ただ俺を困らせたかっただけのような。
「あの、中嶋さん、結局どうして家なんかに来たがったんですか」
「決まってるだろう。プレゼントをもらいにきたんだ」
「え?」
 何も渡してないのに、と言うより先に、歩きながら中嶋さんが鞄の中を開けて大きな本の背表紙だけを見せる。それはとても馴染みのあるもので。
「……そ、それってっ!」
 昨日俺が見せたアルバムだ。
 いつの間に中嶋さんが持ってるんだ。ていうか、どうして持ち出そうとしてるんだ。
 まさか、俺の写真を部屋に飾ってくれるとか……想像できないけど、もしかして。
 あるはずないけど、でも、もしかして。
 そんなわけないと思っているのに、既に顔は緩んできて抑えられない。顔が火照って熱くなってくる。あまり寝ていないせいで重い足が突然軽くなって、スキップどころか今にも飛び上がってしまいそうだ。
 アルバムを見せた時に、正直に言ってくれればよかったのに。そうしたら大喜びで何枚でも渡したのに。
「……お楽しみのところ申し訳ないが」
 からかうような声に振り返ると、見惚れる程の艶やかな笑顔で、中嶋さんが俺を見つめている。
「勘違いするなよ。遠藤と成瀬に売れば結構な金になるとふんでるんだ。一枚五万でも売れそうだからな。どうだ、お前からにしちゃ豪華なプレゼントになるだろう?」
「……中嶋、さん……」
 残したいものがあったら抜いておけ、とまるで自分のもののように命令してくる。
 驚けばいいのか怒ればいいのか。それとも泣けばいいのか。
 しばらくの間何も言葉を発せず、青白い顔のまま俺はただ静かに電車に揺られ続けた。
 写真の裏に、既に値段を書き始めている人を横にして。


 約二時間後には、俺達はまたBL学園の中にいる。いつもの同じ日が始まる。期間限定の、同じ世界に戻っていく。
 それぞれが帰っていく本当の場所は全く違うところにある。
 だけどたった数時間だけの帰省は、俺と中嶋さんの距離を、二人の住む世界の距離を近づけたのかもしれなかった。多分、ほんの僅かだけれど。
 ――近づくことはできるんだ。
 中嶋さんと俺、永遠に同じ世界に住むことは出来ないけれど、重なり合う部分があってもいいはずなんだ。





END