■奮える舌vol,4■  



もうすぐ、5時限目のベルが鳴る時間だ。
だけど、俺は息を切らせたまま、学生会室のドアの前に立っていた。
中に人がいる気配がする。
息を大きく吸って、はいてみた。 心臓が、痛いほど高鳴っている。
震える手で、ドアをノックした。

「…失礼します…」
ゆっくりとドアを開けると。
その向こうには、…中嶋さんがいた。
少し薄暗い学生会室の奥で、大きな身体をいつもの椅子にもたれさせている。
俺の方に顔を向けることもせず、何も反応を返さない。
そのまま見てくれないかもしれない。 無視されるかもしれない。また、そんな思いがよぎる。
だけどもう引き下がることはできない。
ドアを閉めて中に入り、もう一度深く息を吸って、吐いた。

「あ、あの……」
もちろん俺が入ってきたことは気が付いているはずだった。
だけど中嶋さんは、何も反応せず椅子の前の長机に置かれたものを触っている。
それはとても大きく盛り上がっていて、書類ではないようだった。 微かにビニールの音がする。
何をしているんだろう、とその袋を見た。
よく見えないけど、…あれ?
それは、さっきまで俺が触っていたものに似ていて。
いや、似ているどころか、袋の入り口から顔を覗かせるその黒い物体は…。

あ、あれは…!!!
驚きすぎて声が出ない。
嘘…っ!!
それはさっき俺が必死に片付けた、例のおもちゃをつめこんだ袋じゃないか!
しかも中嶋さんは、その中のひとつを取り出して興味深そうに見つめていた。
それは、皮の手枷だった。
「どうして、どうしてここにあるんですか…っ!!」
俺は長机に飛びつき、叫んだ。
何故中嶋さんのところにこれがあるんだよっ。
「どうして…っ!!」
「返してもらったのさ」
「…え?」
初めて、中嶋さんが声を出した。 だけどその言葉は俺の理解できないもので。
そのまま立ち尽くしていると、そんな俺を見上げ中嶋さんが口の端を上げて言った。
「これだけ借りるのに苦労したが、…予想通り噂が広まったようで、なによりだ」

…何を言ったんだろう。
予想通り? …返して…もらう? 集める…??
唖然として沈黙する前で、手枷を持ったまま中嶋さんが椅子から立ち上がり、
机を回り込んで俺の側にやってきた。
見上げる中嶋さんは、怒ってはいないようだった。
どこか楽しげな表情だった。
「これで、よけいな虫は当分近づかない」

その言葉に、頭の中の鎖がつながっていく。
まさか。 まさか…中嶋さんが…? そんなわけ…。
「成瀬はなんと言っていた?
あいつのことだからまだしぶとく食い下がるだろうが、しばらくはおとなしくなるだろう」
さっきの事を見てきたかのような台詞。
「まさ、か…まさか…っ、な、中嶋さんが…?」
「気が付いてなかったのか?」
あきれたように見つめられる。
そんなの、昨日あんな状態で別れて、ただでさえ動転しているのに、気が付くはずなんてない。
いや、そうでなくても、きっと気が付かないだろう。
だけど本当に、中嶋さんがこのいたずらを仕掛けたのか? なんのために?
いや、さっき中嶋さんが言った言葉、その理由は。  

こんなひどいいたずらをされて、俺は当然思い切り怒ってもいいはずだった。
こんな理不尽で、勝手で、とんでもなく恥かしい思いをさせて。

…俺の、ため…?なのか…?
俺は、ためらいながら聞いた。
「中嶋さん…お、俺のこと…怒ってないんですか…?」
何故、あんなひどいことをしたのに、俺に普通に話してくれるのだろう。
その事の方が俺には重要だった。
中嶋さんがじっと俺を見つめる。 何も言わない。
さっきとは違い、笑いのない目。俺をくいいるように見つめている。
俺は目を合わせられなくて俯いた。
その俺の顎に中嶋さんの右手が触れ、上を向かせられたとたん、中嶋さんの顔が被さり。
キスを、されていた。
驚きすぎて声が上がるが、それも中嶋さんの唇で塞がれる。
成瀬さんが触れたそこ。
とっさに振りほどこうとする。
だけど中嶋さんの手が振りほどこうとする俺の手を掴んで押さえつけた。
どうしてこんなことをするんだろう。
わけがわからない…そう思ったのは一瞬だった。
ひさしぶりに俺に触れてくれたことに、俺の身体は喜びで震えていた。
中嶋さんの、薄い唇がおしつけられている。 そう思うだけで。
じぃん、と熱いものが背中を駆け上がってきて、俺はきつく目を閉じる。
唇が動かない分、そこから快感が一気に広がっていくみたいだ。
熱い。
俺の唇は痺れていた。
少し震えてしまっているのを中嶋さんは気が付いているだろう。
ずっとこうされたかった。
こうされたかったから。
学園に戻ってきたときの俺は、その事しか考えていなかった。
なのに、会いたくてたまらなかったのに、会えなくて苦しくて。
そして、あんなことがあって。中嶋さんに会えなくなって。
少しの間しか離れていなかったのに、この感触を忘れていたような気がする。  
ゆっくりと中嶋さんの唇が動いて、濡れた舌が俺の下唇を舐めた。
濡れた感触。ただ、それだけなのに。
口を塞がれていなかったら、きっと声を上げてしまっただろう。
腰から下の力が抜けて、崩れそうになる。
だめだ、倒れてしまう。
膝が崩れる瞬間、俺の腰を中嶋さんが掴み引き上げられ、抱きしめられた。
「あぁ…っ」
中嶋さんの手と、中嶋さんの身体に触れただけなのに、俺は声を上げていた。
中嶋さんの肩に頭を押し付け、強く抱きしめられたままで中嶋さんが俺の耳元で囁く。
「どうだ、成瀬より感じたか?」
「ぅ、あ…っ!」
いきなり熱い息を吹きかけられ、しばらく触れられなかった体は自分でもおかしいと思うぐらい
感じてしまっていた。
「…答えろ、啓太」
「ゃ…あ」
息と声が耳に触れるたびに、全身がビクビクと震える。
おかしい。俺、こんなに。
おとついの成瀬さんの時とは、比べ物にならない。 全身が、喜びで震えて制御できない。
俺は言葉が出せず、ただコクコクと頷いて返事をした。
「触られたら反応する、それは人間の当たり前の反応だ。なにを気にすることがある。
それ以外に、やましい気持ちがあったのなら別だが」
俺は首を振った。 そんなことあるわけない。
「なら、もう忘れろ」
想像もしていなかった中嶋さんの言葉に、俺は目を見開いて中嶋さんを見つめてしまう。
「許して…くれるんですか…?」
「なんだ、その意外そうな顔は」
「いえっ、そんなことは…っ」
ない、とはいいきれなくて。
本当に、許してくれるんだろうか。
不安はまだ消えなくて、中嶋さんをじっと見つめていたら、またキスをされた。
俺はすぐに目を閉じて、さっきより強く押し付けられる唇にためらいながら、
両手で中嶋さんのブレザーにしがみついた。
本当に、中嶋さん…許して、くれてる…?
中嶋さんの腕が強く俺を抱きしめて、俺は口を開けてため息のような 声を漏らすと、
その口の中に中嶋さんの舌が入ってきた。 熱い舌が歯をなぞり、ゆっくりと撫で回す。
濡れた感触に気が遠くなりそうだ。 いつもしてくれていた、中嶋さんのキス。
同じだ。
ゆっくりと、許してくれたことのうれしさがこみ上げてきて目頭が熱くなり、泣くまいと目をぎゅっと閉じる。
うれしい。
うれしいよ…。
俺、中嶋さんに嫌われてなかったんだ。
また、俺、一緒にいられるんだ…。
「泣くな」
だけど、どうしてもこみあげてくるのが止められなくて。
涙が頬を伝っていく。
「泣くのはまだ早い…そうだろう?」
ついばむように唇に触れられながら、中嶋さんが低く囁いた。
「何を誤解しているか知らんが、俺はまだ許したとは言っていない」

「…………え…?」
「成瀬との事は忘れろ。それで終わりだ。
だが、その前に手を出されるような隙を作ったのは啓太だ、そうだろう?」
すう、と身体の温度が下がっていく。
「身体のこととは別の問題だ」
「な、中嶋…さん…」
身体が震えだす。 高みまで上らされ、一気にどん底まで落とされたような衝撃。
わかっているはずだった。
だけど、俺は中嶋さんのやさしさに、そんなことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
こんな簡単に、許してくれるわけがない。 はじめからそう思っていたはずだ。
緊張しながら、恐る恐る中嶋さんを見つめ、どきりとした。
熱い、ちらちらと何か熱いものが揺らめくような目で、俺を見下ろしている。
中嶋さんの指が俺の顎に触れ、つつ、と撫でて、俺は首をすくめて息を漏らした。
「…許してほしいか?」
頷きたい。
でも、その後が…こわい。
「どうする?…啓太」

甘い誘惑の声だった。
低くて、艶のある声で俺の名前を呼ばれるだけで、つい頷いてしまう自分は…
やっぱりバカなのかもしれない。



(→vol,5)