■奮える舌vol,3■



何も口にできないどころか、何も考えられず、なにをする気力も出てこないまま、
俺は一人自分の部屋に閉じこもっていた。

ベットの上で、膝を抱えてうずくまり、動けないでいる。
ぽっかりと穴があいている。 何も、考えたくない。
なのに俺の頭の中は、いつまでもあの学生会室の中から抜け出せないでいた。
何度も何度も、同じシーンが繰り返される。
何も答えない中嶋さん。 無言で、俺をどんな顔で見ていたんだろうか。
きっとあきれかえって、何も言えなかったのだ、そんなことはわかりきってる。
そうじゃないかもしれないという逃げ道を探しても見つかるわけがない。
怒っている、あきれている、そして俺と話す気にもならなかったのだ。
そう思うだけで、心臓が痛くで張り裂けそうだった。
いやだよ。
こんなの、いやだ。
自分が招いた結果なのに。 俺が悪い、全部悪いのに。
まだ俺は食い下がろうと必死になってる。
中嶋さんだけには、絶対に嫌われたくなかったはずなのに。
他の誰に嫌われてもいい、中嶋さんだけでいいって。

もう、俺に笑いかけてくれないんだろうか。
側にいる人にしか見せない、少しだけやさしい表情や、くつろいだ姿。
それをもう二度と見れないかもしれないと思ったとたん、背筋が冷たくなる。
「…いや…だ……」
口から言葉が漏れた。
その自分の言葉を聞いたとたん、目に涙が溢れた。

あきらめるのか?
そう、自分に問いかける。
このままあきらめて、ひきさがって、中嶋さんに会えないまま。
本当にそれでいいのか?

答えはひとつしかない。
絶対に、いやだ。
もう中嶋さんを知らない自分には戻れない。
だって、こんなに…こんなに。
俺の…今の俺の、一番大事なものになっているのに。
俺の、…すべてなんだ。

中嶋さんに抱きしめられた時のあの幸せな気持ちを、もう忘れることなんてできない。

涙が膝の上に落ちる。
もう一度、謝ろう。
許してくれないと思うし、中嶋さんはまた何も言ってくれないかもしれない。
だけど、俺の気持ちを今度は全部、言うんだ。後悔しないように。
そして成瀬さんに、もう二度とやめてほしいって、言うんだ。
成瀬さんにちゃんと言おう…俺は、俺は…中嶋さんのものだって。


その夜、俺はどうやってもう一度謝ればいいのか必死で考え、 明るくなってきた頃には
そのまま眠り込んでしまっていた。
そして起きた時には、とうに1時限目の時間が始まっている時間だった。
「嘘だろっ!!?」
飛び起きて、急いで用意して寮を飛び出す。
朝一番に、成瀬さんに会いにいこうと思っていたのに。
でも…中嶋さんに会うのがこわかったから、遅刻してよかったのかもしれない。
朝まで、どうやって中嶋さんにもう一度謝るか散々悩んだ末に、 出てきたのは…
ただ、謝ること、だけだった。 それ以上何も思いつかなかった。
しかも、きっと俺、中嶋さんを前にしたらまた何も言えなくなりそうで。
やっぱり俺、ダメかもしれない。
昨日の決心は、今にも崩れそうな状態だ。
そう思うと走る足は次第にゆっくりになってしまって。
学校に行けば出会ってしまうと思うと、身体が緊張していく。
だけど、逃げることはできないってわかってるから。
そんなことを考えているうちに、俺の足はいつの間にか1時限目が始まっている
静まり返った廊下に入っていった。

「伊藤くん遅〜い!遅刻〜!!」
そうっと後ろのドアから入ると、海野先生の声が響き、皆が一斉に後ろを振り向いた。
そうか、海野先生だったんだ…この時間。
「す、すいません…」
俺は頭を下げて、小さくなりながら自分の机に向かう。
近くにいたのは和希だった。俺に小さな声で囁く。
「もう先に行ったのかと思ってたぞ」
「和希帰ってたんだ」
海野先生の講義が再開され、 男性にしては少し高い声が響き渡る。
俺はそうっと自分の椅子に座り、机の中にしまっている筆記用具と教科書を取りだそうと手を入れた。

あれ?何か入ってる…?
手が入らないぐらい何かがつまっていて、ごつごつしている。
それが何か取り出そうと手をかけたとたん。
それ、が一気に、とてつもなく大きな轟音を立てて床に散らばった。
授業が止まる。
先生を始め、皆の視線が一気にその落ちたものに集中する。
そして俺も見た。 その落ちたモノの正体を。

「…………」
沈黙する。
そして、皆も沈黙する。
声が誰も、出せないのだった。
何故なら、しばらくの間、それらが何であるのかわからないからだった。
はじめは、黒いモノ、に見える。
ほとんどが黒く、それは皮だったりエナメルだったり、時には銀の金具がたくさんついていたりで、
そしてすべてが総じて、鈍い光を放っている。
ベルト? 様々な形と大きさの、銀の鋲がついたベルトだ。まずそれがわかった。
だけど、とても変な形で。
手錠? 小さめのそれは、手を縛るものではないだろうか。
あとは、変な形の…きっと下着の部分につけるに違いない、 この教室にはまるで不釣合いの、
とてつもなく卑猥な形。
その横は、たくさんの皮の紐がつけられた、鞭。 エナメルの靴。
白い無数の穴が開いたピンポン玉みたいなものがついている皮のマスク。
その時、その横で大きな音を立てて何かが動き始めた。
ピンクの艶のあるシリコンを持ち、電気の振動音を立てて、うねり始めるそれは。
「うわあああああ!!!」
俺はとっさに落ちた物体の上に覆いかぶさった。
だけど、もう遅いのだった。
皆が一斉に騒ぎ始める。
「おい、あれって…」
「嘘だろ!?」
ほとんどの人が初めて見たに違いない、特殊な衣装と道具の数々。

「お、俺のじゃない!!俺のじゃないっ!!」
俺は必死に叫びながら、それらをかき集める。
次第に、皆の騒ぎが興奮に変わっていく。
どうして、こんな、なんで??
何故、という言葉しか出てこない。
俺は、錯乱して半泣きになりながら、入りきるはずもない 自分の鞄にただがむしゃらにつめこんだ。
だけど、つめこんでもつめこんでもそれらははみ出て落ちていく。
背中にみんなの視線が集まっている。
いいわけをすれば、ということも頭に浮かばない。
和希が黙って俺の前に大きなゴミ袋を持ってきてくれて、 俺と和希は2人でその袋に入れていく。
和希を盗み見ると、少し顔が赤くなってた。
それはそうだろう、こんな卑猥なもの触らせて。 だけど、動転してしまってお礼の言葉も出てこない。
「こら〜!!みんな静かにしなさい!!!」
海野先生がびっくりするほどの大声を上げて、皆が一瞬静まり返った。
「伊藤くん、教室にそんなおもちゃを持ってきちゃいけないよ、 早くしまいなさい〜」
「先生、あれはおもちゃっていっても大人のおもちゃだぜ、わかってる?」
誰かが笑いながら言った。
皆から、ため息のような、感心したような声が聞こえ始める。
「見かけによらず、すげえな…伊藤」
「ちょっと見直したかも…」
とんでもない賛辞が飛び出してきて、俺は必死で否定するけれど、みんなちっとも聞いちゃくれなかった。
助け舟を出してほしくて、訴えるように和希を見つめるけど、 俺と目が合ったとたん。
なんと、恥かしそうに目を反らしたのだ。
和希も…もしかして…信じてる? これが俺のモノだって?
俺の赤くなっていた顔が一気に青ざめた。
もしかして、皆…マジでこれが俺のモノだって思ってるのか…?

人数の少ないこの学園に、この事件の噂が広まるのは一瞬だった。
俺はいたたまれない状態で授業を受け、休み時間には好奇と感心の目で見られ、
ありとあらゆる賛辞を受け。
耐えられずにトイレや屋上に隠れたりを続けている間に、いつの間にかほとんどすべての人に広まっていた。
だって、俺が通るとほとんど全員が振り返り俺を見つめるのだ。
視線が…痛い。
俺は俯いて足早に歩く。怖くて上が向けない。
逃げずにちゃんと否定していればよかったのだろうか。
でも、言ってたとしても火に油を注ぐだけだったような気がする。
だって、和希まで…!
口では信じてないって言ってたけど、あの顔は絶対信じてる。
しかもなんだかうれしそうなんだ…!!
絶対、あいつは信じられない!!

一体誰があんなものを俺の机に入れたんだろう。
なんの意図で?何の為に?
副理事長をはじめとする連中はもういないはずだ。
だったら誰が仕掛けたんだろう、しかもあんなひどいいたずら。
それにあんなことしても、何の効果もないじゃないか…!!
ただのいやがらせとしか思えない。
俺には、もっと考えなくちゃいけないことがあるのに、もう頭がごちゃごちゃになっていた。
だけど、お昼休みの間にちゃんと、成瀬さんに会わないと。
そう思って、お昼のテニスのグラウンドに走って向かう。
走っていないと誰に声をかけられないよう、全速力で走った。    

グラウンドには、丁度成瀬さんと数人の部員が練習を終わらせているところだった。
俺はフェンスの向こうから成瀬さんを呼ぶ。
振り向いて俺を見た成瀬さんの顔は、ちょっと変な笑顔だった。
いつもと違う。 やっぱり、噂は成瀬さんのところまで廻ってきてるんだ。  
だけど、だからってここで引き下がるわけにはいかない。
成瀬さんが部員達と別れ、フェンスを越えて俺のそばにやってくる。
「どうしたの?ハニー、わざわざ来てくれるなんて」
「あ、あの、俺、おとついの事で…っ」
ああ、と成瀬さんが悲しそうに声をあげた。
「あの時は無理矢理あんなことをしてごめんね。悲しそうなハニーを見てたら、
どうしても何かしてあげたくてたまらなくなって…」
俺は、息の上がっている今の勢いのまま、一気にまくしたてた。
「あの、…これから、ああいうことは、しないでほしいんです…っ 俺、困るんです…っ!」
言った。 はっきり、大きな声で言えた。
「…わかってるよ、ハニー」
「え?」
以外な返事に、俺は成瀬さんを見上げる。
「今の僕じゃ物足りないんだってことだよね。
今の僕じゃハニーを満足させられないんだってことがつくづくわかったよ」
何を言っているんだろう。
「僕は、どんなことをしてもハニーの好みの男になる自信はある。
だからもっと修行して、ハニーが満足してくれる男にならないとって決めたんだ。
僕は負けないよ。ハニーにどんな趣味があっても」
何か、話が間違った方向にいっている。
「だけど、ちょっと時間がかかるかもしれない。それまで待っていてね。
必ずハニーの要求に答えられる男になってみせるから。
……で、ハニーはどちら側をお好みなのかな…なんていったっけ、えっと、Sと…」
最後の言葉を聞かないうちに、俺は駆け出してその場を逃げ去っていた。

「おや?啓太くん」
泣きそうになりながら階段を上っていたら、臣さんが階段を上ってやってきた。
いつもの笑顔で、俺ににっこりと微笑みかける。
だけど。
「啓太くん、大変そうですね」
俺の顔を見て、第一声がそれだった。
臣さんにも噂が広まっていたことに、俺はショックを受ける。
だけど、その笑顔はいつもの臣さんで、それどころかいっそう輝いて見えた。
俺をうっとりとした目で見つめて。
「僕はますます啓太君に感心しました。
ああいった趣味は 高尚すぎて誰にでもできるものではありませんよ。素晴らしいです」
俺は、がっくりと首を落とした。
この人、本気で褒めてくれているみたいだ…。    
その後ろから、もう一人が階段を上ってきた。
白い制服と流れる長髪は、間違いなくあの人だ。
「啓太か、今日はお前の噂で持ちきりだな」
階段を上りきったとたん、女王様は口を綺麗にゆがめて微笑み、そう言った。
俺は慌てて手を振る。
「じょ、西園寺さんまで…っ、違いますよっ!!」
女王様は楽しそうにニヤリと笑う。
そして、俺の側にきて耳を寄せ、小さな声で囁いた。
「なんだ、俺はてっきり中嶋の色に染まったのかと思ったのだが、違うのか?」
俺はブンブンと首を振る。
「ち、ちちちがいますっ!!!」
西園寺さんはなんだ、と呟いてつまらなそうに引っ込んだ。
そうだ、西園寺さんは学園で唯一、俺と中嶋さんとの仲を知っているのだ。
「俺、ほんとに知らないんです!!あんな…あんなもの持ってきてません!!
でも、誰も信じてくれなくて…っ」
「いいじゃないか、別に」
以外な言葉に、俺は言い返してしまっていた。
「どうしてですかっ!?」
平然として、女王様が答える。
「噂は嘘なんだろう?」
「は、はい…」
「じゃあ、お前が気にしなければいい。噂などすぐに消える」
「そんな…っ!」
「うろたえなければいい。平然としてろ」
臣さんも頷いていた。
言い返すつもりが、次第にそのはっきりとした口調に、少しだけ落ち着いている自分がいる。
きっぱり断定されると、信じてしまいそうになる。
西園寺さんは、しょげてしまっている俺を見て、ふわりと笑った。
その綺麗な笑顔に、一瞬見惚れてしまう。
「それに、啓太の性癖がどうであれ、啓太は啓太だ」
「…西園寺さんっっ」
…絶対俺をからかってるっ。

「それよりも先に、誤解を解かねばならない相手がいるんじゃないのか?」
女王様に指摘されて、俺は我に返る。
誤解を解かなければならない人。
それは、ただ一人しかいない。
絶対にこの噂は知っているはずだ。
今なら学生会室にいるかもしれない。お昼にいることが多いはずだ。
今は昼休みで、もうすぐ終わろうとしている。
だけど、今行かなくちゃ。
今すぐ行って、言わなくちゃだめだ。

「俺、行きます!!」
俺は2人にろくな挨拶もせず、駆け出していた。
絶対言わなくちゃいけない人のところに向かって。  
これ以上、これ以上嫌われたら、もう取り返しがつかない。
昨日のこと、そして今日のこと。
ちゃんと言えるだろうか。ちゃんと伝えられるだろうか。
走っている足が止まろうとする。緊張で、心臓が高鳴りだす。
だけど止まっちゃだめだ。
絶対に今回だけは、誤解を解かなければ。
そして、昨日のことを…ちゃんと謝らなくちゃダメなんだ…!!




(→vol,4)