■奮える舌vol,2■



 ざわめいている体育館。
もうすぐ始業式が始まろうとしている。
予定時刻より数分遅れて、壇上に王様が現れた。
壇上の椅子は教壇を中心にその左側に先生達が4つ、右側に学生会の席が2つあり、ひとつは王様の席だった。
もうひとつの席に人はいない。そこはもちろん副会長の席で。  
俺はその空席を、遠くから見つめていた。
王様が椅子から立ち上がって中央の教壇に立ち、生徒達をゆっくり眺め回すと、
自然に騒がしさが静まりみんなが王様に注目し始める。
そういうところが王様といわれるゆえんなんだろうな。
そう和希に囁きたかったけど、和希はまだ学園に来ていなかった。
和希と話ができたら、少しは気持ちが落ち着くかもしれなかったのに…。  

 一睡もできなかった昨日、俺はうずくまって中嶋さんにどうやって言えば、告白すればいいのか考えていた。
だけど、考えても考えても、最悪な方向ばかりで。
最後には、会わないでおく、という不可能なことしか思い浮かばない。
会わないことなんてできるはずがない。
俺は半分学生会の一員だし、続いている仕事だって残している。
こんな状態で抜けるなんてできないし、この学園にいる限り必ず会ってしまう。
それに。
俺は、王様のスピーチもまったく耳に入らず、ただぼうっと空席になっているその椅子を見つめていた。
…会いたい。
俺、 中嶋さんに会いたくてたまらないんだ。

 王様のスピーチが終わり、先生の挨拶が始まった。
長い長い話に、みんなが少しだけざわつき始める。
その時、壇上の右側のカーテンから人影が現れた。
心臓が止まるかと思った。
その均整のとれた長身の学生は、どんな遠くからでも間違えるはずがなかった。
何も耳に入らない。
だけど、ざわめきが一気に静まり返るのがわかる。
会長と副会長が揃って、体育館の緊張感が一気に高まったような気さえする。
副会長は何かするわけではない。 ただ、そこにいるだけでみんなを威圧するような圧倒感があった。
王様と並んで、中嶋さんがゆっくりと椅子に座る。
俺は目が離せない。
ひさしぶりに見る本物の中嶋さん。
いつものように眼鏡を中指で上げるしぐさ。
学生会室と同じ場所かのように、長い足を組み、書類のようなものを拡げ読んでいる。
どっかりと腰を下ろした王様に向かって何か囁いている。
目頭が熱くなってくる。
うれしい。
俺、会えただけでこんなにうれしくなってる。
昨日会えなかったことなんて、どうでもよくなっていた。  

 長い始業式が終わり、中嶋さんが椅子から立ち上がった。
その時、す、と生徒達を見下ろして、その視線が俺の方向に向く。
俺はびっくりして急いで俯いた。
俺、どうして焦るんだよっ、 あそこから俺が見えるわけないじゃないか。
見つかるわけが…。 そう思い直し、頭を上げると。
中嶋さんは俺を…見ていた。
俺の方向、なんじゃない。それは俺だけを見ているんだってことがわかって。
俺は目を反らして、慌てて俯いた。
それから始業式が終わり、解散になるまで、俺は壇上を見上げることができなかった。
目を反らしたこと。
きっと中嶋さんは気が付いた。


 始業式の後、短いミーティングが終わると今日はそれで終わりだった。
自分の机のひきだしに、何も忘れ物がないか確認すると、友人に別れをつげて一人で教室を出た。
もう寮の自分の部屋に戻るだけ。 学生会室に行くことはできないから。
だけど、寮に向かう足は重い。
帰りたいのに、帰りたくない。
「よっ啓太!!!」
門に向かう校庭を歩いていたら、自転車の急ブレーキの音と同時に 甲高い声が振ってきた。
「なんや、暗い顔してるの〜っ、上見て歩かんかい!」
「うわっ、俊介!!?」
「ひさしぶりやなっ!!」
懐かしいその明るい声に、俺は笑顔になる。
「ほんとだなっ、元気してたか?」
「あったりまえよ!!今日からさっそくバイトの鬼やで〜!!」
ニカっとうれしそうに笑われて、俺はさすがだなって笑い返した。
「で、さっそく啓太に伝言や!! 副会長が学生会室で待ってるとのことや。きっちり伝えたで。
ほな次の仕事があるから行くわ、ほんじゃ!」
「えっ、ちょっ、ちょっと俊介!!」
引きとめようにも俊介はもう数十メートル先で。
「俊介!!無理だって!!俊介!!!」
大声で呼んでいる間に、俊介の姿が見えなくなってしまった。
…どうしよう!!
俺は頭を抱えてしまった。
行かなくちゃいけないのか…俺…。 いつもならうれしくて飛んでいったけど、今回は無理だよ。
…聞かなかったことにしよう。
そう決めて門へと向かう。 だけど。
俺が行かなければ、俊介が中嶋さんに怒られてしまう。
でも…そんなの俺だって行けないことだってあるのに、勝手だよ。俊介が悪いんだ。
でも。
足が止まる。
”会わないことなんてできない”
そうだ。ずっと逃げることなんてできないんだ。
それに、短い間なら、なにくわぬ顔して会えるかもしれない。
少しだけ会話するだけなら、隠しとおせるかもしれない。
もしここで行かなければ、よけいに追求されるかもしれないのだ。
それだけは、ダメだ。
…会おう。そしてすぐに帰るんだ。
今日だったら王様もいるだろうし、2人きりになることがなければ大丈夫かもしれない。
俺はそう決心して振り返ると、今度は校舎に向かって歩き出した。

目の前の角を曲がれば、学生会室。
そんなことはわかってる。
なのに、足がそれ以上進まない。
俺は、学生会室の数メートル前で5分以上立ち止まっていた。
身体が動かない。
行こうとする頭に反して、身体がいうことをきかない。
それどころか、すくんでしまってる。
”こわい”
身体がそう叫んでる。
黙っている自信なんて…やっぱりこれっぽっちもないのだった。
その時、いきなり学生会室のドアが開いた。
「んじゃ行ってくるわ!!」
派手な音と共に、大きな声。
王様がどこか出ようとしてる。 その奥で小さな声が聞こえてきた。
中嶋さん、だ。
ということは…やばい、中嶋さんが一人になる…!!
「ん?啓太?」
王様に見つかり、俺は心臓が飛び上がった。
そして俺がとっさにとった行動は。
「おいっ啓太っ!?」
逃げることだった。

「はあっ、はあっ、はあっ」
階下のトイレの個室に逃げ込み、しゃがみこむ。
いきなり逃げたからか、俺が早かったからか、追ってくる足音は 聞こえない。
よかった、とほっと息をつきながら。
逃げたことで一層会いづらくしてしまったことも事実で。
避けていることが完全にバレたのは明白で。
でも、もう逃げてきてしまった。
「…どうし、よう…っ」
”コツ、コツ…”
その時、トイレに誰かが入ってきた。
まさかっ!!
俺は口を塞いで緊張する。
その足音はゆっくりとしていて、追いかけてきたような感じではない。
でも、放課後の校舎のトイレに入る人なんてあまりいないはずだ。
静かでゆっくりとした足音は、俺が閉じこもる個室の前で…止まった。
まさか…。王様…?
「…啓太」

俺の息が止まる。
その声は、低く、なつかしい声で。
ドアの向こうで、中嶋さんが立っている。
「何をしたか知らんが、そこで頭を冷やしたら出て来い。学生会室にいる」
淡々とした声でそう言うと、中嶋さんは同じようにゆっくりとトイレから 出て行った。
個室の中で、俺は震えていた。
冷たい声に、身体がすくんでしまっている。
怒っている。
当たり前じゃないか、俺、中嶋さんから逃げてるんだから。
中嶋さんは何もしていないのに。 どんな理由にしたって、俺の行為は許されるものじゃない。
やっぱり、言わなければいけない。
これ以上怒らせてしまうよりは、正直に告白して…嫌われる方がいい。
俺は静まり返ったトイレの個室から出て、ゆっくりと学生会室へと向かった。
中嶋さんに会う為に…。


”コン、コン”
学生会室の扉をノックする。
「失礼します…」
ゆっくり扉を開けて入ると、一番奥の席で、中嶋さんが書類を開いて座っていた。
俺の方を…見ない。
どうすればいいかわからず、扉を閉めて中に入ったまま、そこで立ち尽くす。
何を言えばいいのかわからない。
中嶋さんは、俺が存在しないかのように無視した。
心臓が痛い。
近くに中嶋さんがいてうれしいはずなのに、今はただ怖かった。
「あ、あの…俺…」
沈黙が耐えられなくて、俺は言葉を口にしてみるけど、続かない。
そしてまた沈黙が続く。
だけど俺の頭の中はどうすればいいか考えてごちゃごちゃになっていた。

「何がしたい」
「え…」
低い声が響いた。
「何がしたいんだ、と聞いたんだ」
「あ、あの…っ」
書類を閉じる大きな音に心臓がすくむ。 中嶋さんが立ち上がって、俺に向かって歩いてきた。
近づいてくる中嶋さんに、俺は何歩か下がり、俯いてしまう。
壁に背中がぶつかり、下がれなくなったと思った時には、もう中嶋さんは目の前にいた。
顔を上げられない。
「…何故逃げた」
答えられなくて、俺は俯いたまま。
「言えないのか?」
首を振る。
言えないなんて答えられるわけがない。 だけど、嘘をつくこともできない。
自分から言わないといけない、と思うのに、何も口から出てこない。
目を必死でつぶり、真上から注ぐ中嶋さんの視線に耐えていると、ため息が聞こえてきた。
「何故そんなに怯えている。なにかやましいことでもあるのか?」
その言葉に一瞬目を開いてしまい、中嶋さんはそれを見落とさなかった。

確信を持って、中嶋さんが追求を始める。
「昨日こっちに来たそうだな。…昨日何があった」
首を横に振ることができない。
否定すれば、嘘をついたことになる。ますます怒らせてしまう。
言わなければ…でも、どうやって言えばいいのかわからない。
「俺に言えないことか」
”成瀬さんにキスされて、感じてしまったんです”
だめだ…っ!!
俺は無意識に首を横に振ってしまっていた。
そんなこと、どうやって言えばいいんだよっ。
言えない。
やっぱり言うことなんてできない…!
「啓太」
俺を呼ぶ、強い声。
「…最後に聞く。本当に言うことはないんだな」

最後。
これで、答えなければ…。 きっと、本当に最後だ。
何もかも。
いやだ…、
それだけはいやだ!
「…お、れ…」
口から出た声は、細く掠れていた。
その次が続かなくて、必死になって言葉を探す間、中嶋さんは無言で待ってくれる。
そのことに少しだけ勇気がでてきて、俺は少しづつ言葉を出し始めた。
「き、昨日…俺、……っ」
どこから言えばいいんだろう。
「ここに帰ってきて、…一人で…っ、食堂に行ったら、な…成瀬、さんに…会って…」
声が震えてくる。うまく声が出ない。
「俺が、元気ないんじゃないかって…っ、心配してくれて…っ、それで…、それ…で…」
その次を告げる言葉が、出てこない。 ここまで言ったのに。
中嶋さんが待っている。次の言葉を待っているのに。
だけど、そこで俺は止まってしまった。

”次の言葉を言ったら、中嶋さんと別れるかもしれない”

その恐怖が身体を貫いて、身体が動かなくなる。
いやだ。
そんなの、いやだ…っ!

「いや…」
その言葉だけが口から漏れた。
「いやだ…」
「啓太?」
俺の頭に、中嶋さんの手が触れた。
驚いて顔を上げると、目の前に中嶋さんの顔があった。
俺を見つめる目は怒りを含んではおらず、ただ、貫くような強さで俺を見ていた。
いつも見ていた端整な目鼻立ち、それによく似合う眼鏡と、額にかかる青みがかった髪。
…俺が好きな人が、俺を見ている。 ずっと見たくて、会いたくてたまらなかった人。
やさしい手が、俺の頬に下りてくる。
その手が、唇に触れたとき。
「いや…っ!」
俺は、無意識に振りほどいていた。
直後にとんでもないことをしてしまったことに気付く。
「す、すいません…っ!!」
中嶋さんは一瞬目を見開き、手を引いて俺を見つめている。

だって、汚いんだ。
中嶋さん以外の人が触ったんだ…。
そんな所、触ってほしくない!


「…俺が嫌か」

それは、想像もしていなかった言葉だった。
俺は必死で首を振る。
「違います!!違うんですっ!!俺はただ…っ!!」
声が奮える。
「汚いんです!!俺、中嶋さんに会う資格なんかないんですっ!!
お、俺…う、裏切ったから…っ、中嶋さんを、裏切ったから…っ」
でも、言葉が溢れてきて、止まらない。
「俺、おれ…っ! キスされたんです、成瀬さんに…っ、俺にスキがあったから…、だから…っ!」
身体が冷たい。身体が震えて、俺は必死で言葉を出そうと両手を強く握り締める。
その手も大きく震えて、止まらなかった。
「俺、嫌だったのに、嫌だったのに…、 なのに……俺、……き、気持ち、よ…っ、くて…っ」
最後の言葉と同時に、涙が頬を伝っていく。
「嫌だったのに、俺、中嶋さんじゃないと…嫌なのに…っ!! なのに、俺、…か、んじ…てた…っ。
中嶋さんを裏切った…!!…俺、汚いんです……っ!!」
涙が溢れて、言葉を上手く出せない。
血の気が失せて、目の前が暗い。
けれど。
「ごめんなさい…っ、ごめんなさい…っ」
ただ俺は何度も何度も、震えながら謝り続けた。

そして、中嶋さんは…。
その間も、その後も、ずっと、ずっと…。
一言も…口をきかなかった。
顔は見れなかった。こわくて、見上げることができなかった。
怒って口も聞けないのだろうか。
それとも、もう俺と話する気さえなくなってしまったのだろうか。

「す、すいません、…俺、こんな…っ」
すべて言ってしまって、俺は涙を拭きながら微笑んでみる。
沈黙に耐えられないから。
「先に、か、帰ります…、ね…」
しゃくりあげながら、俺は落としていた鞄をつかむ。
呼び止められることもなく。
俺は、学生会を出た。



それから、どうやって寮に戻ったかは覚えていない。




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