■奮える舌vol,1■



海の向こうに、BL学園の大きな建物が見えてくる。

俺は、冬季休暇を終えて、この学園に戻るためのバスに乗り込んでいた。
学園が見えてくると、少しドキドキしてくる。
また、明日から学園生活が始まるんだ。
少ししか離れていなかったのに、なんだかすごく懐かしいな。
始業式が始まるまでに学生達がぽつぽつと学園に戻り始めてて、バスの中は満員だった。
勝手に顔がほころんできて、俺は慌ててうつむく。
だけど同時に緊張もしていて、そわそわしてしまう。
緊張、そう緊張してるんだ、俺。
もしかして初めてこのバスに乗って学園にやってきたときよりも。
顔もココロもまったく落ち着かない。
これは緊張してるっていうより、うわついているっていうのが正しいのかもしれない。
その原因は、ひとつだけだ。

しかも、行く途中の電車の中ですごいものを見てしまって…、 緊張がよけい高まってしまったんだけど。

大きな橋を乗り越え、もうすぐバスが学園に到着する。
俺は急いで身だしなみを整えた。 髪はいつものとおりはねてしまって治らないけど。
バスが止まり、みんなが一斉に降りていく。
外にでると、懐かしい潮の香りが俺を包んだ。
帰ってきたんだ、俺。
まだ少しだけしかここで生活していないのに、もう俺にとってこの学園は
まるで自分の家のように、大事な俺の居場所になっていた。
ここに来れば、大事な友達がたくさんいる。気のいい先輩達も。
そして、一番大事な人も。
「っふーっ!」
緊張しすぎて固まった体をほぐそうと気合を入れてみた。
落ち着け、落ち着け自分。
同じ所にいるんだって思うだけでさっきより緊張してしまってる。
ダメだ俺、さっきから頭のなかグルグルしてる。同じことばっかり。
さっきから何人目だよ、青いネクタイっていうだけで心臓が飛び出そうになっては、
顔を見てがっかりして。  

また、電車の中での光景が思い出されて、今度は顔が赤くなる。
ここに来る前の電車の中で、一組のカップルがドアの側で2人の世界を作り出していた。
そのカップルの男の人が、背が高くて眼鏡をかけていて、それだけなのに俺、
気になって仕方なくなってしまって。
そしたら、その2人が大胆にも電車の中でキスし始めた。
…心臓が止まるかと思った。いつもは気になっても無視するのに、目が離せなかった。
ああやって、俺も、キスされた。 数えるほどしかないけれど。
目の前のそれは、俺の願望そのものだった。
冬休みの間、中嶋さんにそうされたいと思っていた、ずっと。
そうされることを期待してた。
キスだけじゃない。もっとその先も。
そう思い始めたら、電車を降りてから一気に緊張しはじめて止まらなかった。
口の端を少し上げて、楽しそうに俺を見つめる顔がいつまでも頭から消えてくれない。

そっと、口に手を当ててみる。
しばらく触れていない、中嶋さんの感触。
きっと俺、今キスされたら…うれしすぎておかしくなるかもしれない。
身体も、今触れられたら…沸騰してしまうかもしれない。



「よっ、啓太!!」
ふらふらとしたまま寮に入ったとたん、大きな声が俺を呼んだ。
振り向くと、玄関に王様が立っていた。
ドキっとする。
それはいつも側にいる事が多いあの人がいるのかもしれない、と思って。
だけど、王様は一人だった。
「ひさしぶりだな、元気だったか?」
大きな手がバンバンと俺の肩を叩く。
「はいっ、王様こそお元気でしたか?」
「ああ、正月で体が少しなまっちまったがな」
「釣りはされなかったんですか?」
「いんや、殆ど釣りで費やしちまった」
ケンカもない平和な日々で、退屈だったとのことらしい。
大きな口でがははと笑う王様を見ていると、帰ってきたんだなとうれしくなってくる。
しばらく話をしていると、どうしても聞きたいことが頭から離れなくなり、
機会を狙って変に思われないようなにげなく聞いてみた。
「あ、あの…中嶋さんは…」
「ヒデ?あいつは明日来るってよ」
「明日っ!?」
「ああ」
「明日って始業式ですよね?」
「遅れてくるってよ。なんでかは知らねえけど。まあ家の都合じゃねえか。
おかげで始業式の段取りは俺一人だ。めんどくせえったらねえ。 …ん、啓太?」
唖然とした顔をしていた俺を、王様が覗き込んだ。
緊張してドキドキしていた身体が、一気に冷え込んでくるような、しぼんでいくような…、
ショックで何も口に出せない。
「おい、大丈夫か?…啓太ー」
目の前で大きな手を振られて我に返る。
「あ、…す、すいません」
自分でも驚くぐらい声が小さくなっていた。
「なんだいきなり。長旅でつかれたか?」
「いえ、…ごめんなさい、あの、俺、もう行きます…」
呼び止める声に振り向く元気もなく、俺は大きな荷物を抱えて、自分の部屋に向かった。
中嶋さん、いないんだ…。そうなん、だ…。
今日会えるって思い込んでたから。
明日だから1日過ぎれば会えるんだけど、だけど。
今日こそは会えるって思ってたから。
それに、今日は一日、もしかしたら一緒にいれるかもしれないって思ってたから…。
あまよくば、キス…できるかもしれないとか、俺、そんなことばっかり考えて。
ひさしぶりの自分のベットに、コートのままで倒れこむ。
…ショック、だ…。
中嶋さん、電話では何も言ってくれなかった、このことはなにも。
俺に、言う必要ないと思ったからなんだろう。
そんなことはわかってるけど、でも、それでも言ってほしかったよ。


キスしてほしい。
たくさん、何も考えられないぐらいのキスを。



ふて寝していると、あっという間に夕飯の時間で、俺は慌てて食堂に向かった。
遅い時間だったから、人ももうまばらになってる。
俺は一人で座り、少しだけ口にしたけど、殆ど残して立ち上がった。
だめだ、食欲わかない…や。
「ハニー!!」
背後で、なつかしい大声が聞こえてきた。
振りむくと成瀬さんが両手を振って俺を満面の笑顔で見つめていて、すごい速さで俺の側に走ってくる。
いきなり抱きしめられそうになり、俺は必死でつっぱねた。
「な、成瀬さんっ!」
「ハニー、会いたかったよ…!! ハニーに会えない日々がこんなにつらいとは思わなかった。
こんなに悲しい冬休みは初めてだったよ」
成瀬さんがすごい勢いでまくしたてる。
「だけど今ハニーに会えてすべて消えうせてしまった。
ああ、今君に会えたのは運命だったに違いないよ。神様に感謝しなくちゃ」
俺は慌てて話をそらせようとする。
「な、成瀬さんは冬休みなにをされてたんですか?」
成瀬さんの顔がパアッと輝いた。
「僕のこと気にしてくれていたのかい!?なんて幸せなんだろう…!!
もちろん僕はもっと強くなるためにここでテニスをしていたんだ、ほとんど休みはなかったよ」
「そうなんですか…」
「君のためにももっと強くなって、日本一の栄冠を君に捧げる為なら何もつらくはないよ、
むしろうれしいぐらいさ」
「は、はあ…」
「ハニーの顔が見れないのはとっっってもつらかったけどね」
ウインク。
俺は苦笑するしかない。
ほんとはもっと強く断らなくちゃいけないんだけど。
この勢いに呑まれてしまって、いつのまにか流されてしまってる。
それに、懐かしい人に会えたのも、俺、やっぱりうれしいみたいで。
「……ハニー?」
「は、はい」
「元気がないんじゃないかい?どうかした?」
俺、やっぱり元気がないように見えるのかな。 成瀬さんにさえ気づかれるぐらい。
「何もないですよ?」
その時、成瀬さんの手がそっと腰に回されて、俺はぎょっとして思い切り払いのけた。
その勢いに自分で驚き、成瀬さんも驚いて俺を見つめる。
その視線をまともに受け止められず、俺はうつむいたまま、笑って言った。
「じゃあまた。俺行きますね」
「あ、ハニー!!」
隙を見て、ダッシュで逃げ出す。

さっき、俺…。
腰に回された成瀬さんの手に、俺…中嶋さんにされた時と同じ緊張が走った。
中嶋さんじゃないのに。


廊下を走っていると、背後から追いかけてくる足音が聞こえる。
振り向くと、真剣な顔をした成瀬さんが俺を追ってきていた。
「成瀬さん…っ」
俺は必死で逃げようとしたけど、長身で鍛え上げられた成瀬さんにすぐに追いつかれ、
強い力で腕をつかまれる。
「は、離してください…っ!」
「だめだ、離さない」
「成瀬さん…っ!」
いつになく真剣な顔で正面から見つめられ、俺は俯いたままもがく。
「何があったの…僕がハニーに何かしてしまった?」
俺はぶんぶんと首を振った。
「じゃあ、どうして逃げるんだい」
「ご、ごめんなさい…っ」
「謝ってほしいんじゃないよ。このままハニーを放っておけない気がしたんだ。
よかったら僕に話してほしい。僕でできることならなんでもするから」
そんなことじゃない。 俺は首を振る。
成瀬さんのせいなんかじゃ、ない。
俺自身に驚いただけで…。
「ほ、んとうに、何もないんです。本当です…っ」
「……僕じゃあ役にたたない?」
「いえ、ちがうんです…っ」
何も言わない頑なな俺の態度に、成瀬さんはしばらく俺を見つめた後ため息をついて、 手を離してくれた。
「…わかった、あきらめるよ」
俺はほっとして成瀬さんから離れようとした。
その時、俺は一気に抱き寄せられて。
成瀬さんの顔が俺にかぶさり…。

……え? き、キス…されて…る?
呆然とする俺の唇に濡れた舌を感じたとたん、背筋に何かが這い上がってきた。
「あ…」 漏れてしまった自分の声に驚愕する。

「いやだ!!!」
その瞬間、俺は成瀬さんを突き飛ばしていた。



嘘だ、嘘だ…っ!!
自分の部屋に逃げ込み、ドアにもたれ、両手で口を押さえて立ち尽くす。
心臓の音が響いている。
俺、キスされた、キスされたんだ…!!!
ショックで頭が混乱して。
背筋から冷たいものが這い上がってくる。
いやだ、いやだ…っ!!
「中嶋さん…っ!!」
俺は無意識に叫んでいた。

俺、中嶋さんにキスしてほしかったんだ。
中嶋さんに、抱きしめてもらいたかったのに。

俺、裏切った。
成瀬さんが悪いんじゃない。 俺に隙があったからだ。
それなのに…俺は反応してた。
そう、抱きしめられ、キスされて、 俺の身体は反応していたんだ。
中嶋さんじゃないのに。
寂しくなったら、俺は誰でもよかったのか?
必死で首を振る。
だけど…身体は反応していた。
今でも、まだ身体の火照りが微かに残っている。
これ以上の裏切りがあるだろうか。
俺は中嶋さんを…裏切ったんだ。

”もう、二度と触ってもらえない…?”
自分で問いかけたその言葉に、体中が冷たくなる。
言わなければいい。 ずっと、黙っていれば…。
だけど、きっと俺まともに中嶋さんを見つめられない。
黙っていてもきっとバレてしまう。俺の嘘なんて、簡単に見破られてしまうだろう。
どんな顔して会えばいいのかわからない。
会えないよ。会えない。

謝っても、許してくれないだろう。
そして俺は、中嶋さんに…。




その夜は一睡も出来なかった。





(→vol,2)