赤い絨毯を濡らして 中編  




 それから約1時間半、携帯での検索をしながら目についたホテルをあたり続けたけれど、やはり今日はクリスマスイブですべてが満室だった。だけど、日が変わる直前に入ったホテルに空きがあることがわかり、俺達は即そこに泊まることに決めた。これ以上探しても見つける可能性はゼロに近かったから。
 そこは唯一、まだ結構余裕があるという答えが返ってきた。
 確かに、そのホテルが今の時期に空いているのは、建物を見つけたとたんすぐに想像がつく。洒落たホテルでは一切ないし、どちらかといえばビジネスホテルに近い。だけどそれともどこか違う。
 古ぼけているというより、ものすごく洒落ていない、と言った方がいいかもしれない。清潔感はあるけれど、装飾には決してお金をかけていない、そんなふうだ。
 だけど、安物くさい濁った赤いジュータンがひかれたロビーは人が結構いて賑やかだ。だけど一組もカップルなんていなかった。老夫婦や礼服を着た夫婦、くたびれたサラリーマン、そんな人ばかり。確かにカップルが好んで泊まる場所じゃない。
 ホテルの代金は、先ほどのホテルの丁度10分の1という安さだ。
 だけど、部屋室は相当数あって、俺達は別館の最上階の部屋だった。別館も12階まであるし、本館も15階まである。
 部屋の鍵を受け取った中嶋さんが別館へと歩き出す。もちろんホテルマンが先導してくれることはない。
 だけど、贅沢なんて言ってられないんだ。真冬の外で凍え死ぬことを考えれば、暖かい部屋に入れるだけでも有難いんだから。
 BL学園の寮の裏口のドアに似た別館への入り口に入ると、また赤い絨毯が引かれた廊下が続いている。両手を広げると手が届きそうなぐらい狭い。だけど、廊下はずっと先まで続いていて、エレベーターの横の配置図を見ると、1フロアに40部屋ぐらいあった。それが12階まであるんだから、相当規模の大きいホテルかもしれない。
 狭いエレベーターで最上階まで上がり、探し出した俺達の部屋はコの字に配置された一番端から二番目の部屋だ。
 ニスで塗ったように鈍く光る茶色の木でできたドアを開けると、淡く沈んだ青色の絨毯の、丁度一人通れる幅の2メートル程の廊下が続いていた。
 中嶋さんが先に入り、俺もそれに続いてドアを閉める。
「…………」
 入ったとたん、なんだか変な匂いが鼻をつく。不快なものじゃないけれど、洗剤のような、ちょっとつんとした匂い。
 部屋はびっくりするほど狭かった。ツインなのかと疑いたくなるような小さなベットが端に置かれていて、壁との隙間は人一人分の幅だけ。寮の部屋よりも狭くて、きっと4畳か5畳しかないはずだ。
 廊下を歩いていた時から思っていたけれど、天井も低くて中嶋さんなんて頭が当たりそうだ。
 中嶋さんが部屋の暖房を点けて、コートを小さなテレビにひっかける。唖然としている俺と違って、中嶋さんの態度は平然としていて、それが逆に悲しくなってくる。
 俺が想像していたものと、あまりにもかけ離れてた。中嶋さんをこんなホテルに泊まらせてしまって、本当によかったんだろうか。タクシーでもなんでも使って帰ってもらったほうがよかったんじゃないか。
「助かったな」
 中嶋さんがベッドに腰掛けると、スプリングがぎしっと悲鳴のような音を上げる。
「先にシャワーでも浴びるか? 身体が冷えてるだろう」
「……いえ、俺は……、中嶋さん先に入ってください」
 部屋の入り口で立ったままの俺の右側に小さなドアがあって、開けてみるとクリーム色に統一されたユニットバスがそこにある。小さな洋式トイレと、多分中嶋さんが座ったら全く動けなくなるんじゃないかと思うぐらい狭いバス。
 布が擦れる音に部屋に視線を戻せば、既に中嶋さんが服を脱ぎ始めている。
 ベルトをはずし、セーターを脱いでいる姿にちょっと胸が高鳴ってしまって慌てて目を逸らした。
 その時、ベッドの軋む音が響いて、更に大きな水の流れる音がした。でも中嶋さんはもうベットに座っていないし、水だって出してない。
「……よく聞こえるな」
 中嶋さんが壁の方を見てそう呟き、驚いて耳を澄ますと、それは隣の部屋から壁つたいに聞こえてくる音だったんだ。耳を澄ましてみると、微かに会話も聞こえてくる。
 ここまで聞こえるってことは、もちろん俺達がたてる音だって筒抜けってことだ。
「いつまでコートを着てるんだ、啓太。やっと見つかったんだ、ゆっくり休んでろ」
 俺の横を通り過ぎた中嶋さんは、既に上半身裸になっていて思わず目を閉じる。ユニットバスに入ってドアが閉まり、しばらくするとシャワーの流れる音が大きく聞こえてきた。
 中嶋さんの、シャワーの浴びる音。
 どんなことをしているのか想像できるほど部屋に音が響いてきて、たまらず一番遠いベットの隅に座り込む。
 狭い部屋な分、俺と中嶋さんはどんなに離れようとしても2メートルを越えない。そんな距離で今晩過ごすことになるって今更気が付いて、やはり帰ればよかったと後悔した。
 こんなホテルに泊まることになったのはすべて俺のせいなのに、まだ俺はどこか期待しているんだ。そんな女々しい思いを抱いて過ごすぐらいなら、おとなしく帰ってしまえばよかったんだ。
 物音が筒抜けなのは俺への戒めなのかもしれない。何もするなって、何も期待しても求めてもいけないって、そういうことなんだ。
 なのに、耳は中嶋さんの動きを追いかけて、目の奥では中嶋さんの裸を想像してる。この小さなベッドで二人で寝るんだって、そのことだけが頭の中を占領してくる。
 最低だ。今の俺には変なことを考える資格なんてないっていうのに。
 頭を振っても抱えても、この部屋で中嶋さんの音を聞いている限り冷静ではいられなくて、ベッドから勢いよく立ち上がる。
 ここにいちゃ、だめだ。
 俺はシャワーを浴びる中嶋さんを置いて一人部屋を出た。


 ホテルのロビーに降りると、混雑は落ち着いたのか数人のお客がいるだけだった。受付の正面に数個並べられたテーブルと椅子のひとつに座って、大きな息を吐く。夜中だから座っている人は誰もおらず、頭を冷やすには丁度よかった。
 去年のクリスマスよりもひどい失敗だ。
 いつもいつも中嶋さんに迷惑ばかりかけてきたけれど、今年の最後に一番最悪のことをしでかしてしまった。どうして俺っていつもこうんなんだろう。俺の頭にはたくさんの落とし穴があって、常に何かを見落としてきてしまう。穴を埋めようと努力はしているつもりなのに、ちっともその数は減らないんだ。
 中嶋さんみたいに何をしても隙がなく、完璧にこなすことなんて到底無理なのかもしれない。
 どうして、前日までにホテルが取れているか確認の電話をしておかなかったんだろう。事前にわかっていれば、少しはとるべき手段もあったはずだ。
 かっこわるいところを見せてしまったうえ、中嶋さんにも恥をかかせてしまった。
「……最低だよな、俺……」
 中嶋さんはどうして俺を責めないんだろう。いっそいつものように怒ってくれたらいいのに。
 ぐるぐると同じことばかり考えている間に、いつの間にかロビーでは再び電話や受付が増えて慌しくなってきてる。
 その光景をぼうっと眺めながら、壁にかけられた時計を見ればもう1時を過ぎていて、慌てて立ち上がった。気が付けば1時間も座っていたらしい。
 勝手に出て行ったりして、絶対中嶋さん怒ってる。
 別館に入ってエレベーターに乗り12階にたどり着いて、地図で見つけた丁度コの字の中心部に設置された給水場を見つけると、その中に足を踏み入れる。
「わっ!」
 2畳ほどの給水機と自動販売機が設置されたその中に、なんと中嶋さんが立っていた。
「中嶋さん……」
「遅かったな」
 壁に背をもたれさせ、右手にはタバコを持っている。部屋の中は禁煙だから吸いにきていたんだろうか。
 まだ少し濡れたままの髪で、薄地のグレーのシャツは、ボタンをすべて外していて、その中は裸だった。盛り上がった胸の筋肉や腹筋が覗いている。
 ここで会ったことよりも、その格好の方が衝撃で、中嶋さんの方を見れずに俯いてしまう。せっかく頭を冷やしてきたっていうのに、結局一瞬で台無しじゃないか。
「部屋に戻るか」
「……あ、待ってくださいっ」
 タバコを捨てて歩き出そうとする中嶋さんのシャツを掴んで引きとめる。
 このまま部屋に戻ったら、結局さっきの状態のまま、俺は中嶋さんに何も言い出せずに終わってしまう。狭い部屋に二人きりという状況に怖気づいてしまう。
「……ほんとうに、今日はすいませんでした……。中嶋さんに結局迷惑をかけてしまって……っ、なのに、どうして何も言わないんですか? 俺のせいでこんなことになったのに……っ」
「……事前に確認するのを怠ったことは、確かにお前のミスだ」
 俺の告白からしばらくして、中嶋さんが低い声でそう答える。
「だが、一番くやしいと思ってるのもお前だろう。俺はお前の気持ちも、今までやってきたことも知ってる。もう忘れろ、ひさしぶりに会えたんだからな」
 やさしい音色の声に驚いて見上げると、殆ど無表情の中に僅かな暖かいものを感じて驚く。そんな言葉が返ってくるなんて思いもしなかったから。
「……、中嶋さん……っ」
 思わず中嶋さんを抱きしめて、頭を裸の胸に押し付ける。
 中嶋さんに、こんなやさしい言葉を言ってもらう資格なんてないって、わかってるけれど。でも、中嶋さんは俺の気持ちを全部知ってた。それだけで十分だって言ってくれたんだ。目頭が熱くなって、なめらかな肌に涙が伝っていく。
 大きな手が俺の頭を掴んで、上向かされて涙が溜まった視界に中嶋さんの顔が近づいて、気が付けばキスをされていた。音を立てて唇に何度も触れていき、身体が絞られていくような感覚が襲ってきてきつく目を閉じる。
 信じられない、こんなやさしいキスをするなんて、信じられない。怒らなかったことにも、やさしいことを言ってくれたのも驚いたけれど、このキスは一番ありえない。
「……っ」
 もしかして、中嶋さんはまた何かよからぬ事を企んでいるんじゃないだろうか。そんな不安が襲ってきて、申し訳ないけれど先ほどまでの感動は一瞬で消え失せた。
 だって、ここまでやさしい中嶋さんを体験して、後で痛い目を見なかったことが、ない。
 両手で中嶋さんの胸を押しのけようとしても、ビクともしないどころか、腰を掴まれて更に引き寄せられる。
「……っ、ぁ、む……っ」
 口を開こうとしたと同時に熱い唇がきつく覆いかぶさってくる。
 この一ヶ月、焦がれてたまらなかった中嶋さんからのキス。
 唇に濡れた舌が触れたとき、早くも思考が飛んでしまいそうになる。頭ではやばいって警告を発しているのに、身体は既に負けを宣言する直前だ。
 だめかもしれない。
 今日ひさしぶりに会って、まだ中嶋さんに慣れきっていないのに、予告なくキスなんてされたら。
 上唇、下唇をゆっくり舌先がなぞってから、中に入り込んでくる。口を閉じようとするより先に、歯を割って俺の舌に触れてくる。
「……っ!」
 強く舌を吸われて、鼻についた声が漏れそうになる。唾液がたてる濡れた音が耳を刺激して、給水場に響る程大きい音に感じる。
 ……そうだ、ここは部屋じゃなくって給水場なんだ。
 我に帰って唇を逸らし、腰に回された腕を引き剥がそうとする。
「……いや、いや……です……っ、ぅあ……っ!」
 ズボンごしにそこを撫でられたとたん、突然身体の力が抜けて膝から絨毯に座り込んでしまう。
 快感というより、痺れているような強烈な刺激が襲ったんだ。驚いて動けないでいると、突然中嶋さんが吹き出した。
「な……なんですか……っ」
 しゃがみこんで、俺の顔を覗き込む表情は心底楽しそうだ。
「立ち麻痺してたんだよ、啓太。お前気が付いてなかったのか? 会ったときからずっと半勃ちだったじゃないか。コートで隠れて助かったな、見せてたら立派な変態で捕まってたぞ」
「な、な、な……っ、嘘っ!」
「そこまで勃起させるとこを見ると、この一ヶ月ろくにオナニーしてなかっただろう。肉体労働で昇華していたんだろうが……ここにきて一気に回復したな」
「ぁっ!」
 信じられない言葉を続けながら、大きな手が俺の股間に伸びてくる。小さなホックを掴んでジッパーを下ろそうとする。布が突っ張っているせいで下ろしづらいらしく、ひっかかる度に中嶋さんが喉を鳴らして笑う。
 ジッパーが動く感触でさえも、たまらないほどの快感で喉がつまって声が出せない。まるで他人事のように、下ろされている光景を抵抗もできずに見つめてしまう。
 完全に開いたズボンの布の中に手が入りこみ、下着の布の割れ目を探り当てる指の動きに、声にならない息が漏れる。もう布の上から濡れた音を立ててるんだ。
 もしかしたら、本当にもっと前から濡れていたのかもしれない。
 引っ張り出さなくても、広げた布の間からそれは外に飛び出した。
「ぃや……!」
「もうイったか? 白いのも混じってるな」
 中嶋さんが裏筋を人差し指の腹で突つきながら、興味深そうにそこを眺めてる。
 ここはホテルの廊下で、人がいつ出てくるかもわからない場所で。なのに俺はそこを出して座り込んで、力が抜けて抵抗することもできない。
「お願い、中嶋さん……っ、も、も、やめて下さい……っ、人が、人が来たら……っ」
「じゃあさっさと隠せばいいだろう、俺は別に強制してない」
「……ち、力……が入らない……」
 泣きそうな声に、更に中嶋さんは笑みを深くしてそこを握りこんでくる。
「ぃや……っ!」
「じゃあ一度出していくか?」
 そう言うのと同時に、大きな手で扱き始める。耳を塞ぎたくなる程濡れた音がし始めて、廊下中に響き渡る。
「あっ、……あ、ああ……! っぅ、ん……っ」
 嫌だって、絶対ダメだってわかってるのに、目が眩むほどの快感に胸を反らして喘いでしまう。我慢したいのに、声が止まらない。しかも自分で聞きたくないぐらい甘ったるい声なんだ。 
 制止するどころか、中嶋さんの指の感触をもっと拾おうと身体を揺らしてしまう。
 亀頭からどんどん熱いものが溢れていくのがわかる。中嶋さんがそれを親指ですくっては陰茎に擦り付け、更に動きを激しくしてくる。
「ゃあ、ぁ……っ」
 強く握られて身体が反射的に逃げようとすると、そこが引っ張られて痛みが走る。なのに、それを引き金にして抗えない強い衝撃がこみあげてくる。
「あ、あ、あ……っ」
 中嶋さんの手が離れたとたん、先端から白いものが中嶋さんの方に向かって飛び始めて、すぐに中嶋さんが自分にかからないように身体を避けた。
 白いものがどんどん赤い絨毯に飛び散っていく。それも、恥ずかしいぐらいの量で止まらない。
「ぁ……――――」
 最後の方になってからやっと、絨毯にかからないよう両手でそこを押さえても既に遅い。
 全部出し切ってようやく意識がはっきりとしてから、大量の白い粘ついた液体が絨毯に散っているのを見て今度は血の気が引いていく。
「ふ、拭かなきゃ……っ」
 ハンカチをポケットから取り出そうとすると、それより先に中嶋さんがなんと靴の裏で絨毯に擦り付け始めた。
「な、中嶋さんっ!」
「……部屋に戻るか」
 しばらく続けて満足したのか、すっきりとした顔でそう告げるけれど、俺には広げただけにしか見えない。もしかしてこれは拭いたつもりなのか?
 何事もなかったかのように部屋に戻ろうとする中嶋さんを慌てて引きとめる。
「待ってください、このままだと絶対やばいですってっ、ちゃんと拭かないと……っ」
「それより、ここにいれば人が来るんじゃないのか」
 意地悪げに口を歪めてから、そのまま歩き出してしまう。
 そうだ、さっきの俺の声でいつドアを開ける人がいるかわからないんだ。我に帰ってジッパーを閉めて立ち上がる。濡れた感触が気になるけれどとにかくこの場から逃げなきゃいけない。拭きに戻るのはそれからだ。
 慌てて後を追いかけながら、その背中になるべく小さな声で話しかける。
「中嶋さん、もう俺、絶対嫌ですから……! ここ、すごく壁が薄いの知ってますよね、だから……っ」
「とにかく風呂に入れ、匂うぞ」
「……っ」
 俺の顔も見ず、平然とした顔で答えられて言葉が続かない。
 ……一体なんだったんだ、今のは。
 俺達の部屋のドアを開けて、立ち止まってしまった俺をちらりと見る。
 その目が意味深に見えるのは気のせいだろうか。
 高鳴る胸を抑えるために深呼吸してから、俺は中嶋さんに続いて部屋に戻った。




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