■23日のクリスマス■




「…はあぁ〜っ」

1年生の教室の机に突っ伏して、俺は大きなため息をついた。
今日は12月20日で、今日何度目かのため息。

「なんだ啓太、最近おかしいぞ。何かあったのか?」
和希もそれと同じ数ぐらい、同じ言葉をかけてくれるけど、俺はやっぱり返事できない。
だって、きっと他の人からすればたいしたことない事で、
俺はうじうじ悩み続けているのだから。

今日は12月20日で、明日から冬休みになる。
だからうれしいはずなのに、俺は納得できなかった。
「…和希、なんでこの学校20日で終わりにしたんだよ…」
「ん?なんだって?」
禁句をぼそっと口に出してみるけど、気持ちはおさまらない。


数日前の学生会でのことだった。
「今年も終わりだな〜!!」
大きな声で王様がうれしそうに叫んだ。
「20日で終わりか。休日出勤もなさそうだし、今年はのんびりできそうだな。
ヒデはいつ帰るんだ?」
分厚い書類をめくっていた中嶋さんが顔を上げずに答える。
俺はドキドキする気持ちを顔に出さないよう、こっそり中嶋さんを見上げてみた。
無表情で、どんな気持ちも見えない顔だった。
「20日の夜だな」
「終業式終わってからか?早いな」
「帰る!?」
俺はいきなり声を上げてしまった。
自分の声が大きくて、驚いて口をおさえてしまう。
「なんだ啓太。お前も実家に帰るんだろう?いつ帰るんだ?」
「え…」
最近の俺は、ちがうことで頭がいっぱいで、まったく気が付いてなかった。
俺、一番大事なことを忘れてたんだ。
ここは全寮制の学校で、年末やお盆にはほとんどの学生が実家に戻って、
今年は20日で終わりなんだって事を。
…だから、クリスマスの日学校はお休みなんだって。

俺、忘れてた…。
12月に入ってから、クリスマスの日のことばかり考えていたんだ。
なのに、その日にはもう中嶋さんがいないんだってことに気が付かなかった。
一番大事なことを忘れていたんだ。
「啓太?どうした?」
返事をしない俺を怪訝そうに見つめる王様の前で、俺は椅子から立ち上がった。
「…俺、帰ります…」

寮に帰る道を、放心状態で歩いていた。
俺、バカだ。
初めてのクリスマスで浮かれてたんだろうか。
何をしたいとか、どこかに行きたいとか、何かをあげたいとか、
そんな事を考えていたわけじゃなかったし、
たかがクリスマスで 特別なことは何もないだろうってわかってたけど。
…俺と中嶋さんは、世間で言う恋人同士とは違うし、
中嶋さんだって クリスマスを祝うような人でもない。
だから、何もなく終わるのはわかってたけれど。
だけど、クリスマスの日に中嶋さんと一緒に過ごせるって思うだけで、
俺にとっては特別だったんだ。
家族じゃない人と…好きな人と初めて迎えるその日は、
どこか特別なものに 思えていたんだ。
何もないって思っておきながら、どこかで期待してたんだ、俺。
…目頭が少し熱くなってきて、あわてて首を振る。
仕方ないじゃないか。
中嶋さんは実家に帰る。それだけなんだから。
クリスマスなんて何も思ってないんだから。
俺と…会わなくなるのだって、中嶋さんはなんとも思ってないんだから。


それから数日。
俺は中嶋さんに会えないまま、終業式を迎えていた。
「啓太はいつ帰るんだ?」
和希が尋ねる。
「うーん…早く帰ってもすることないから、何日かゆっくりしてから帰るよ…」
和希は仕事がつまりまくっていて、今日から出張で始業式までずっと帰らないらしい。
「そうか…それなら予定を変更すればよかった…一緒にいたかったな」
「なに言ってるんだよ。仕事しなくちゃダメなんだろ?」
和希の言葉に少しうれしくなるけど、わがままは言えない。

そしてとうとう、20日になってしまった。
結局俺は何もできずに、何もなく過ぎてしまった。
学生達はみんな、今期が終わりということで、浮ついていて騒がしい。
いつもより賑やかで、みんな元気だ。
終業式は淡々と終わり、ぼつぼつと帰省ラッシュが始まっている。
コートを着、大きな荷物を抱えて学園を去っていうく学生達を、
俺は自分の部屋で一人椅子に座ったまま、
寮の窓から学園を去っていくみんなの後姿を見つめていた。
…中嶋さん、もう帰ったのかな…。
中嶋さんの背中を捜している俺。
ほんとは中嶋さんの部屋を訪ねて、今年お世話になった挨拶をしようかと 迷ったけれど、
変なことを口走ってしまいそうなので行けなかった。
期待していた俺なんて、かっこわるくて見せられない。
それに、俺中嶋さんの部屋に入ったことがないし…。
いきなり尋ねたら嫌がられるかもしれない。
なのに、もしかしたら中嶋さんから俺の部屋に来てくれるかもしれないって、
…さっきから そればかり考えている。
だけど、中嶋さんがそんなことしてくれるだろうか、俺に。
中嶋さんはこの学園の副会長で、俺はただの1年生。
恋人ともいえない関係。俺と中嶋さんはそれだけでしかない。
「…ダメだ…」
俺、暗いことばっかり考えてる。

何も食べず、夜中まで窓から門を見つめていて、俺はそのまま窓にもたれて 眠ってしまっていた。
結局俺は、中嶋さんが出ていくのを見つけることが出来ず、 中嶋さんは俺の部屋に来ないまま、
学園を去っていってしまった。  

…冷たい風で身体が冷え切っている。
寒気がしてきて、俺はそのままベットに倒れこんだ。
「寒…」
ふとんを頭から被っても、寒くてたまらない。
何も、考えたくないのに。
目頭だけが熱いのを忘れたくて目を閉じるけれど、身体中が震えて なかなか眠れなかった。


 それから2日。

今日は23日の…時計を見るともうお昼過ぎ。
俺は熱を出してずっとベットの中にいた…。
自分がバカで情けなさすぎて笑えない。
寮長の篠宮さんに迷惑をかけたくなくて、気づかれないよう一人で部屋に 閉じこもっていると、
部屋の向こうから感じる学生達のざわめきも 日毎に消えていき、
少し元気になって立ち上がれるようになった今日には、 篠宮さんもいなくなっていた。
まだ頭がぼうっとするけれど、熱は治まったみたいで、廊下に出てみる。
いつもの廊下とは思えないほど静かだ。

食堂に行ってみると、食堂のおばさんが2人いて、話をしていた。
俺を見つけて声をかけてくれる。おばさん達にはおかゆを作ってくれたりして 迷惑をかけてしまった。
お礼を言って、廊下に出る。中嶋さんの部屋がある方向を見つめる。
無意識に、そちらの方に足が向いていた。
中嶋さんの部屋。 俺は立ち止まってその部屋を見つめた。
人の気配はない。
だけどもしかしたら、このドアが開いて、中嶋さんが出てきてくるかもしれない。
俺を迎えて、ちょっと笑って「啓太」って名前を読んでくれるかもしれない。
いつも見上げて見つめる中嶋さんの顔が浮かぶ。
ドアに手を触れてみた。

冷たい。
その冷たさに我に返った。
「俺…なにやってんだろ…」  

それから俺は自分の部屋に戻り、ふとんを被ってまた寝た。
いやな夢ばかり見る。 思い出したくないような夢ばかり。
だけど夢だったら会えるんだと思えば、少しだけ楽になった。  

小さな音が聞こえてくる。
身体の芯から冷え込むような寒気に、俺は眠れずに目を覚ました。
耳鳴りがするほどの静けさなのに、やはり音は聞こえてくる。
「もうこんな時間か…」
もう夜の10時を過ぎていた。
あまりの寒さに、カーテンを開いて外を見ると。  

そこは一面の雪だった。
「うわ…」
大きな雪の粒がしんしんと降っている。
地面は白く染まり始め、空は真っ黒だった。
寒いはずだよな…。
「ホワイトクリスマス、か…」
自分で言って、もう明日がクリスマスなんだって気が付いた。
そうか、もう…そんな日だったんだ。

こんなところで、俺、一人で。
何も、誰もいないのに。


… 帰ろう。
もう一人でいたくない。

そう思ったら突然家族の暖かさを思い出して、俺はいきなり荷造りを始めた。
思い始めたら、もう一時もここにいたくなかった。
早く帰って、ひさしぶりの自宅を楽しもう。
家族も俺の帰りを待ってくれてるんだ。
この時間からだったら、終電には間に合うだろう。
たとえ間に合わなくても、もうここにはいたくなかった。
とにかくここから出て、この学園を去ってしまいたかった。
そう思ってしまったら止まらなくて、あっという間に荷造りが終わり、
俺は小さなボストンバックを持って部屋を出た。

寮のドアを開けると、想像以上の冷えた空気と、 一面の雪景色が俺を包んだ。
「うわ…」
寒い空気が俺を襲う。
多分恋人たちが喜ぶだろう、ロマンチックなはずの、雪のクリスマス。
でも、俺は一人きりで、この学園でひとりきりで。
目頭が熱くなってくるのを振り切り、震える手でマフラーと固く首に巻きなおす。
俺は門に向かって歩き始めた。雪に包まれて一人で。

…ほんとに俺…なにしてたんだろう。
バカみたいだ。
もうあきらめたはずなのに、なんで今までしつこくここに いたんだろう?
情けなくて、悲しくて、そう思ったら出そうになった涙も出なくなった。
その時突然ガタン、と背後で音がして、俺はとっさに振り返る。  

そこには、閉じたドアががたがたと音を立てて揺れているだけ。
そのドアを振り向いて見つめたまま、俺はしばらく立ち止まっていた。
今、俺…。

「…さん」
その名前が口をついた。
「…さん…」
名前を呼んでも、そこには誰もいない。
「…………」
…誰も、いない。
「…会いたいです」
そう口に出したら、その語尾がかすれているのがわかった。
「…俺、会いたいんです…中嶋さん」

言えばよかった。
一緒にいたいって。
少しでいいから一緒にいてくださいって、正直に素直になって 言えばよかったんだ。
クリスマスだからって、変に期待して、何もしない自分が悪かったんだ。
俺、バカだ。
涙が出てきて…止まらなかった。
情けなさと、寂しさとがごちゃまぜになり、
俺は立ち止まったままでいられず 門に向かって歩き始める。
誰もいないその門に向かう道を、流れる涙もぬぐわず、地面に落ち、
積もっていく 雪を俯いて見つめながら。
雪を踏みしめる足の音と、しんしんと降る雪のかすかな音だけが聞こえている。
その足の音がやけに大きくて。
その音だけを聞いていると、俺の足音が響いて聞こえているのに気づいた。
一歩、するとそれを追いかけるような音。
それが不思議で、俺はそれだけに耳を澄まして下を向いて歩いた。
その響くような足音はだんだん大きくなっていくようだ。
「あれ?」
その追いかける音が、微妙にずれてきて、俺は立ち止まった。
だけど音は、俺を無視して、さく、さくと音を鳴らすのだ。
おかしいな、なんだろう?



「帰るのか?」



目の前の声に俺は上を向いた。
降りしきる雪の中で、ほんの5メートルほど先に、中嶋さんが立っていた。
門の側で、濃いグレーのコートを羽織り、立ち止まった俺を 見つめている。

…声が出ない。
何故、とか、どうしてここにいるのか、とか。  
中嶋さんが、咥えていたたばこを小さなケースにゆっくりと入れ、
それをコートのポケットの中に入れる。
目の錯覚かもしれない。
中嶋さんが俺の荷物を見、それから俺を見つめて、少しだけ笑った。
「どうやら間に合ったな」
低い声が響き渡る。

「…さん?」
声にならなかったその声に、中嶋さんは反応して目を細めた。
目を合わせたその目は、今まで見たことのないほどやさしくて。
たまらなくなって俺はうつむく。
手が震えてる。
手だけじゃない。
俺の唇も震えていて。
「…お、れ…」
ちゃんと声が出ない。
「…おれ…」
「啓太」
呼ぶ声に、俺は顔を上げる。
中嶋さんが右手を差し出していた。やさしい目をしたままで。








その手を見たとたん、俺は鞄を放り出して駆け出していた。


本物の中嶋さんの手が、飛びついた俺をきつく抱きしめる。
中嶋さんの暖かい身体に、一気に全身を包まれて、俺は泣きじゃくって
ただ中嶋さんの名前を何度も叫んでいた。
「…中嶋さん、中嶋さんっ…っ!」
何も言わず、ただきつく抱きしめてくれる。
…本物だ。
本物の中嶋さんがいる。
大きな手が俺の頭を撫でてくれる。
「一人だったのか?」
俺はただ頷いていた。
頭のすぐ上から響く声は温かい。
「遠藤が一緒にいると思ってたが…そうか。…すまなかったな」
どうして謝るんだろう。
ただ俺は首を振る。
だって俺、自分でここに残ったんだから。

俺が落ち着くまで、中嶋さんは俺の頭を撫でたまま、抱きしめてくれていた。
中嶋さんの腕に包まれたまま。
「…中嶋さん、どうしてここにいるんですか…?
俺、帰ったんだと思ってました…」
鼻声で俺が尋ねる。一番聞きたいこと。
「ああ、一度帰ってきた。家の用事があったからな。
いつ終わるかわからなかったから、お前を待たせるわけにはいかないと思って 黙っていた」
「待たせる…」
「約束して破るわけにはいかないからな。だから黙っていた」
「じゃあどうして戻ってきたんですか…?」
口を少しゆがめて微笑む。
「お前がいれば、と思ってな」
それじゃあ、中嶋さん…俺がいるかわからなかったのに、
この学園に戻ってきて くれたんだ…。
俺はびっくりして、ぽかんとして中嶋さんを見つめる。
中嶋さんがおかしそうに笑った。
「それに、思った通り啓太は学園に残っていたからな。
一人で今まで一体何をしてたんだ?」
ぐさりと突き刺さるその質問に、俺は俯く。
「俺を待っていたんだろう?」
ずばり、言い当てられて俺は…頷けない。
俺の沈黙に、中嶋さんは小さく、本当におもしろそうに笑った。


「もうすぐ12時だ。啓太は何をしたい?」
「え?」
「今ならほとんど誰もいない。何でもできるぞ。 今なら2人きりだ」

突然キスをされて、俺は驚く。
だけどその暖かい唇を感じて、俺は目を閉じた。
抱きしめられ唇を強く押し付けられて、一気に身体の熱が上がる。
ゆっくりその唇が離されて、間近で見つめられる。

眼鏡越しに見る、中嶋さんの目。
深くて、綺麗で。 すべて見透かされるような目。
俺は何も考えられなくなる。
「…ここでするか?」
「えっ!?」
にやりと笑われる。
「何でもするぞ」
なんだか、中嶋さんが妙にやさしくて照れくさい。
俺は、しどろもどろになりながら。
俺が一番したいことを…伝えた。


「そんなことでいいのか?」
それはずっと、俺が思っていたこと。
「いいぞ。好きなだけいればいい」
振り向いて俺に微笑み、俺に手を伸ばす。
俺は、恥かしさにうつむきながらその手を握った。大きな手に包まれる。
中嶋さんが俺を連れ戻す。
2人きりなったその場所へ。


だけど戻るのは、俺の部屋じゃない。



中嶋さんの部屋に、…2人で。








END
 
 
   
 
 
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